- 2024/11/22
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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viaje con precaucion 気をつけて旅を
寝不足だ。
目の下にはクマがしみついている。
いつも深夜までパソコンをいじっており、朝はまわりの話し声や掃除の音で起こされる。
夕食を自炊していることが多かったため昼寝の時間もあまりとれず、町を歩き回っていたので体も休まっていない。
そんな状況だったがこれ以上ここに居座るのもなんだか忍びないし、コロンビアの滞在日数も徐々に迫ってきていた。
ここで3ヶ月働いているという笑い顔がロバートデニーロ似の旅行者らしき男にも嫌われていたようだったので、早くここから去りたかった。
朝に行き先を検索。
前日にも確認したが、念のため。
こういう都会は毎度のこと脱出が難しい。
再三確認してスタート。
↑このオレンジの道を、下から出てきて右へ入る
↑ペン先がメデジン。右ななめ下へ延びる道をゆく
とりあえず川に沿って走ればいいと思い、メデジン川の右側のハイウェイを通る。
車が多くて走りづらいが、この道をはずれるまでの辛抱だ。
すると目の前でバイクに乗ったおじさんがクラクションを鳴らしながら抜かしていき、前で止まる。
なんだろうと思っていると、
ここは危険だからもっとあっちの道を行ったほうがいいよ
と教えてくれる。
が、スペイン語なので30%くらいしか理解できない。
通じていないとわかったおじさんは、ついてこいと言わんばかりにこちらを何度も振り返り指をさしながら前を走ってくれた。
高架線を渡って川を横切り、メデジン川左側へ。
川を挟んで片側右車線になっているので反対ではないか、
と思っていたのだが、なんとその隣には誰も通っていない走りやすそうな道路が!
↑こんな状態
おじさんにお礼を言い、おじさんの持っていたノートにサインをして別れた。
なんのサインだったのかはわかっていない。
宿帳みたいな感じで、他にも旅をしている人がなんとかと言っていたので、危険なものではないはずである。
↑落ちていた紙にこの先の行き方も書いてくれた
無事に先へいく道も発見でき一安心。
と思いきや、ここからがまた大変だ。
急なのぼり坂との真っ向勝負が待っていた。
そういえばここ、メデジンへ来るまでにひたすら坂を駆け下りた。
そのぶんをまた登らなくてはならないのか・・・
すぐにギブアップ。
腹が減ったので途中に見えた食堂へ。
卵料理を注文した。
値段は安くなかったが、この飲み物の料金をサービスしてくれた。
それにこの写真右に見えているアレパ。
これがめちゃくちゃうまかった。
それまではアレパは分厚くてぼそぼそしていて味がなくてマズい代物だった。
しかしここのはとってもジューシーで、噛むと練り込まれたバターがしみ出し、コクがあっておいしい。
マリさんが、
「コロンビアのなかでもアレパは地方によって全然違うから食べ比べてみて」
と言っていたのを思い出した。
いままで食べたアレパいろいろ↓
左上の白いの。丸くて分厚いアレパは中がしっとりしている
右の小さいの。これは中が小さいつぶつぶでコロコロしていた
この平べったいのはそこまでまずくない
これはちょっとパサパサしていたと思う
分厚いのはあまりおいしくなかった
さて、いいこと尽くめで走り出したはいいが、ここから先ずっとのぼり。
背中が痛いのはワインを飲み過ぎて肝臓がやられているせいか。
先へ進むたびに体が重くなり、脚が痛くなり、呼吸が荒くなる。
変に眠気が襲ってくる。
そこまで登っていないはずなのに、数歩で息が苦しい。
背中の荷物が非常に重く感じる。
こんなに重かったっけ。
そんなに買い物はしていないはずなのだが。
なんども休憩するが、なかなか距離を稼ぐことができない。
昼ごろに猛烈な睡魔がおそってきて、途中道路のすみっこで少し眠った。
しかしそこまで体力は回復しなかった。
腹は減っていないが、食堂で休憩がてらの食事。
窓からは見晴らしのいい景色が堪能できる。
が、それを気に留める元気はない。
今回も出てきたこのアレパ。
Arepa de chocolo(アレパデチョコロ)というらしい。
ここのはチーズが挟まれていてとてもおいしかったが、これで5200ペソ(260円)はちと高い。
一応ここでキャンプしてもいいか店の人に尋ねてみる。
が、断られた。
しょうがないのでフラフラなまま先へ進む。
見えてはいるがなかなか辿り着かないトンネルにやっと侵入し、危険なので急いでペダルをこいだ。
息がきれ、倒れそうになるのを必死でこらえる。
結構のぼったがそれでも町につかない。
道を聞くとみんな、
あとすこしで下りになってそれから町があるから、そこのホテルに泊まりな
と口を揃えて言う。
しかしその5km程度の”あとすこし”が、今の体感としては30kmくらいある。
いくつもの店と家でキャンプの許可を貰おうとするが、どこも返事はNO。
こんなことは初めてだ。
外も暗くなった。
3歩歩くともう息ができなくなり、脚はジンジンと痛くて無理をするとすぐに吊り、眠気はピークに達している。
食べ物も飲み物も口に入らない。
最後の望みをかけて尋ねた店からも断られ、なけなしのパンを貰う。
その店の外で倒れ込んだ。
もう動けない。
店の主人やたむろっていた少年達がこちらへ来てペラペラとまくしたててくる。
しかしなにを言っているのかわからず、こちらはすでに声も出ない。
お菓子を分け与えようとしてくれるが、疲れきっているために食べたいとは思わない。
ウトウトしながら話を聞き、なんとか聞き取れたのは、
ここはコロンビア人がたくさん来て殺されてしまうから、すこし外れたところに行ってキャンプしたらいい
ということだった。
吊って筋肉が伸びてしまった脚を丁寧にマッサージしてくれ、なんとか動けるようになった。
少年達に自転車とザックを持ってもらい、店の横の道へ入ってハイウェイを離れる。
すぐそこの丘の上へ荷物を持ち上げた。
草むらのなかでテントをたてる。
↑これは翌日撮った写真
彼らの飼い犬がこちらを守ってくれるように入口に座りこむ。
怒られてすぐ飼い主のもとへ去っていったが、彼らと犬のやさしさが嬉しい。
テントのなかに倒れ込み、そのまま眠気に押しつぶされるように眠った。
今思うと、寝不足で体調が優れなかったために体の変調に気がつかなかったのだろう。
知らずに無理をしていた状態だったのだと思う。
それに脱水症状もあったようで、テントの中で寝ている最中、喉の渇きがひどかった。
もしかしたら高山病の手前までいっていたのかもしれないが、そのあたりはよくわからない。
あの呼吸の苦しさは尋常ではなかった。
翌日は5kmほど先のGuarne(グアルネ)という町でホテルをとり、2泊した。
人が少なく物寂しい町だったが、こういうところは嫌いじゃない。
ただ物価が高く、治安の面でもすこし危険な香りがただよっている。
↑中心部も人がまばらだった
出発から2日で20kmちょっとの進み具合。
コロンビアでの残り時間は1ヶ月と少し。
この先いったいどうなるのやら。