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となりの国

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かつて戦争があった村、Nuevo Horizonte グアテマラ

11時過ぎにサンタエレナのホテルから出発。

この町はそのままサンタベニートという町に繋がっていて、境目を見分けることができない。

サンタベニートで道を曲がり、南へ進路を変える。

道を聞きながら先へ進み、すぐに25km先のSan Franciscoという小さな村に来ることができた。

まだ1時だ。

まずは腹ごしらえ。

ということで、村へ入るとメキシコ料理のバン屋台があったのでタコをひとつ注文する。

タコというよりブリトーに近かったが、味はとてもおいしかった。

ここでずっと気になっていたメキシコpopソングの情報を知ることができた。

というのも、メキシコの中盤くらいからどこの町でもそれがかかっていて、「あ、またこの曲だ」「あ、まただ」と何度も耳にしていたのだ。

iphoneで音楽を流している男達に曲名を聞き、携帯でメモしておく。

きっと流行っていたのだろう、4、5ヶ月前からメキシコ・ベリーズ・グアテマラと聞かされてきたこの曲の詳細をやっと手に入れられた。

Prince RoyceのDarte un Besoという曲名らしい。

www.youtube.com/watch?v=bdOXnTbyk0g


初めて聞いた時からいつも誰かにタイトルを聞こう聞こうと思って聞きそびれていたので、これでスッキリだ。

現地で人気のある曲に触れられるというのは、その国の人になったようで嬉しい。

このサンフランシスコ村はたしかに大きくはないが清潔感があり、人々の笑顔も温かい。

通りを通っただけでここが好きになったが、まだ昼なのでもうちょっと進んでおこう。

次の町Santa Ana(サンタアナ)を目指し進む。

    ↑通りがけに、まるで魔女の森のような景色があった

看板に”Santa Ana”と書かれた所に到着したが、思っていたよりもずいぶんと小さい。

セントロはどこか、と店の人に聞いてみると、どうやら行き過ぎてしまったらしく、もっと後ろだと言われてしまった。

ここは「サンタアナ”村”」だったらしい。

紛らわしい。

また戻る気も起きないのでもう少し先へ行って様子を見ることにした。

どこにも辿り着けなくてもテントで野宿ができるし、大丈夫だろう。

と思う間もなくサンタアナ村のすぐ隣にゲートがあり、そこに立ててあった看板には、

 TURISMO

と書かれていた。

自分の中のセンサーが反応した。

旅人にとってこの文字は、地図をもらえたり情報をもらえたりタダで泊まらせてくれたりする、いわゆる ありがたポイント なのだ。

このNuevo Horizonte(ヌエボ・オリソンテ)という村、英訳するとNew Horizonだろうか、

そんな英語の教科書のような名前の村にツーリスモがあるということは、きっとホテルが用意されているに違いない。

外から見る限り全然そう見えないが、観光客がくるんだからきっとあるだろう。

そんな確信を持ちながら中へ入り、入り口にいた人にホテルの場所を聞いてみると、

村人「あっち行って左

よし!!やっぱりだ!


中央部へ入るとおじさんに呼ばれ、turismoと書かれた建物に案内された。

ここのスタッフであろう老年の女性を呼んでくれ、部屋を用意するからちょっと待ってくれとのこと。

横から話を伺ってみると、どうやら女の子が鍵を持っていってしまったらしい。

待っている間、この村のことを尋ねた。

ここは1996年まで戦争をしていた。

室内にはそのときの軍隊や装備など写真が飾られ、村のあちこちで「もう革命はない」という、戦争反対や平和への文字と絵が描かれていた。



案内されたのは集会場のような場所。

寝ることになったところは二段ベッドがたくさん置かれ、映画で見た「宿のない人たちをかくまう教会の一室」といった感じだった。

ここも昔兵士達が使っていたのだろうか。

一通り村を巡り、ホテル?に帰ろうとすると、肌の白い女の子が同じ建物に向かっていくのが見えた。

彼女もここに泊まっているらしい。

眼鏡をかけた可愛らしい21歳のフランス人女子で、メキシコのトルーカで3ヶ月勉強しにいった後、バスでここまで友達に会いに旅してきたそうだ。

彼女は1週間ここに滞在すると言った。

スペイン語はペラペラで、彼女も英語とスペイン語がごっちゃになってしまうと笑っていた。

以前あった人たちもみんな同じことを言っていたが、やはりスペイン語と英語は似ているということだろうか。

話し好きの彼女が通訳をしてくれ、他の人たちの話し相手もしてくれるので、こちらとしては大変助かった。

それにしてもコミュニケーション能力の高い人はすごいなあ。

誰とでもすぐに打ち解け、話でもり上がっている。

ぼくにはとてもできない。

ツーリスモのおばあちゃんに案内され、女の子と二人で小さな商店兼食堂で料理を食べにいった。




    ↑パンを欲しがるネコ

これで20Q。

けっこう量があった。

まあ安いほうなのではなかろうか。





    ↑広場でバスケをする村の子ども達


    ↑いまでは平和になったようでよかったです


    ↑夕日がとてもきれい



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おとぎの島 〜 グアテマラ Santa Elena、Flores

昼近くに起きると頭が酷く痛く、視界がぐらんぐらんしている。

かなり具合が悪かった。

もう一泊したかったが、本当は昨日次の町に行くつもりだったので、無理をしてチェックアウトギリギリにホテルを出る。


天気は悪く、時々しずくが顔にかかる。

ココナッツしか置いていない露店が並ぶ通りで少し休憩しつつ、30km先のSanta Elena(サンタエレナ)に着く。

今日は贅沢をしようと、高いホテルの部屋をとり、スーパーやカフェ、バーガーショップでたくさん金を使った。

ベリーズで盗まれてしまったスパイス系も買い足す。
コーヒーと粉ミルクも一緒になくなっていたのだが、これはまだ買わなくてもいいだろう。
どこでも売ってるし。


 

帰ってから部屋でネットをしながら食べて飲む。

この辺は料金が高いらしくwi-fiが通っているホテルがあまりない。

ネット屋でも制限がかけられていたりするところがあったほどだ。

カナダの中部・北部を思い出した。

次の日は気になっていたFlores(フローレス)という町を見にいってみる。

フローレスはこのホテルのすぐ目の前のにある橋から行くことができる。

地図では湖に浮かぶ島になっていて、一目見て興味をもったのでここに来たのだった。


    ↑ほら、楽しそうでしょ


    ↑フローレスへ続く橋

橋を渡り島に入る。

警備されており、すぐ隣なのにサンタエレナより治安がよさそうだ。

家はそれぞれたくさんの色一色で塗られており、それがカラフルな街並を作っていて、おとぎの国のように可愛らしい。

歩いてもすぐに一周できるくらい小さい。

中央の丘になっている所に教会が立っていて、中でミサをやっている。

今日は日曜日だった。

教会の内部は天井に白い布が幾重にもかけられており、カーテンを縛ったような状態で垂れ下がっているのがきれいだった。

フローレスのレストランで昼食を食べた。

高かったので、タコスを注文。

それでもかなり高い。

しかし高いだけありすごくうまい。

屋台のタコスとは違い、小麦粉か片栗粉かなにかで具にとろみをつけてあり、肉や野菜の量も多い。

トッピングでつけられるトマトとコリアンダーのソースも香りが高くタコスによく合った。

タコスは当たり外れが本当に大きいのだが、ここは当たりだ。


    ↑カフェからの眺め

そういえばメキシコではよく屋台のタコスを食べていたのだが、あれを食べるとなぜか元気が沸いてきた。

あれはなんだろう。

さすがメキシコのソウルフードだけあるといったところだろうか。

2、3周して島を出る。

今日は島をちらっと見て先へ進むつもりだったが、遅くなってしまったのでまたサンタエレナに泊まることにした。

安めでいいホテルを見つけ、自転車を部屋に入れていいか交渉し成功した時点でスコールが降って来た。

ホテルをとると、雨が降ってくる。

これ、よくあること。

雨が止んでから、ホテルの裏手にある小さい船着き場で存分にオカリナを吹き、夜は隣のバーで蚊に刺されながらおいしい安料理を食べた。





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ティカルでティカレル

今日は遺跡ティカルへ行く日だ。

黄色い服を着た宿の男性に、ティカルへ行くなら荷物を置いておいてもいいと言われていたのだが、

ティカルの国立公園内にキャンプ場があるみたいなので荷物をすべて持ってそこに泊まることにした。

この街を出てもすぐに次の村が現れる。

ほとんど距離は変わらないのに、ここは旅行者向けの雰囲気がなく、民家と花や木々がうまく融合している。

『赤毛のアン』に出てきそうな綺麗な田舎という感じの雰囲気だった。

そしてすぐに急な坂になる。

これが「例の」か。

噂に違わぬ急勾配だ。

自転車を押して歩くがすぐに息が切れて足が動かなくなる。

これまでいくつかこういうキツい上りを体験してきたが、こういう時はいつもいつも思う。

初期の『ドラゴンボール』に出てきた「ホイポイカプセル」と『ドラえもん』に出てきた「傾けると地面の傾斜が変わる杖(正式名称は忘れた)」が欲しいと。

ああ、やっぱり荷物を置いてツアーバスで来るべきだったかな…と後悔し始めてきたあたりで坂の頂上に到着。

その間約1kmくらいだろうか。

上にはまた村があり、すぐに現れた店で瓶のコーラを頼む。

店員のきれいに年を取った女性が「自転車で来たのか」と聞いてくる。

大変だったでしょう。

こちらは日本語とジェスチャーで対応。

しかしなんとか通じるもので、意思疎通を図ることに成功した。

工藤静香の「嵐の素顔」という曲の前奏の振り付けを発展させたようなウェイビーな手の動きをして聞くと、相手も一瞬だけ同じように手をふにゃふにゃと動かす。
きつい坂はここまででこの先は若干の上りだけしかないということがわかった。

 

この”上の村”にも観光色がなく、穏やかで温かい雰囲気があった。

木漏れ日が似合うというか、静かなのだがどこからか笑い声が断続的に聞こえてくるような、そんな村だった。

その後いくつかの家を通り越し、あっという間にティカルのゲートまで着いた。

着いたとたんに係員に声をかけられたので、キャンプをしたい旨を伝えると、

3時半から入場すれば明日まで有効のチケットになるよアミーゴ~。君は自転車だから2時半でOKさロシナンテ~。

ということで1時間早く入れるようになった。

自分としては別に3時半まで待っていてもいいのだが、この際だ、早めに入らせてもらおう。

現在12時ちょいすぎ。

時間つぶしに隣の店へ行って、どれが一番安い飲み物かを聞いてみた。

やっぱり一番安いのは瓶のコーラだったようで、ここでは4Q。

それとは別にコップ1杯の水だけならタダでくれるという。

せっかくなので両方もらう。


 
   ↑無料の水(右)と袋に移してもらった4Qのコーラ(左)

そうこうしているうちに時間は過ぎ去り、2時半になった。

係員と一緒に中へ入りチケットを買う。

150Q。

うーん、高い。

チケットは無くさないように、また買う羽目になるから、と係員に念を押され、財布に入れて自転車をまたぐと、

ティカルまで自転車で1時間かかるからね~

と係員。

マジか!!

それで自転車は1時間早く入場なのね。

ジャングルの中を突き進むと様々な動物注意の看板を見かける。

いやーヘビとは一人暮らししていたころに仲が良かったというか、運命?因縁?そんな仲だったんですよね。

道端で1日に3度ばったり出くわしたりとか、街中のヘビなんていそうにないところで道を横切っていったりとか、アオダイショウがウヨウヨしているところでキャンプしたりとか。

ホント家の中に出てこなくてよかったですよ。

小さい頃は写真を見るだけでもダメだったけど、その頃には少し遠巻きに行き過ぎれば大丈夫にまでトラウマは克服していたのでよかったんですけどね。


これは・・・・・・パンサー?

え、危ないんじゃないの?

いやまさか、なんだろうこれ。

ヒョウ? 虎?

これは動物注意だわ。


これはなんだろう。

遠くから見たときは一瞬ワニかとも思ったけど、違う。

アリクイか。

バク? マレーバクなの?

とまあ他にも色々な動物の絵がシルエットクイズのように出てくるのを楽しみながら、下り坂が多かったので意外とスムーズに進むことができた。

そして1時間半後、やっとティカルの中心部へ到着。

すぐそばに見えたレストランで昼食と夕食を兼ねた食事をする。

少し高かったがクラブサンドイッチというのを注文。

これが旨味が効いててものすごくおいしかった。


    ↑入り口付近の建物にあったもの。日本が何かしているのか

インフォメーションへ行くとスタッフが

あなた日本語をしゃべれますか?

と英語で聞いてきた。

あ、はいしゃべれますよ、と英語で返すと

あー私はしゃべれないんですけどね。

というジョークを飛ばしてくる。

うん、知ってた。

けれどこの辺は日本人もよく来るらしく、簡単な単語なら言えるというスタッフも幾人かいた。

それで、そのジョークの人が言うには、ティカル遺跡群へは夕方6時まででキャンプ場でキャンプをするなら向こうでチケットを買ってこないといけない、ということだった。

キャンプチケットを50Qで買う。

うあー、高い。

このあといいことと悪いことが交互交互に起きて、それはまあ大変だったのだけれど、その話は割愛することにする。



    ↑ちなみにこれはキャンプのお隣さんにもらった肉とトルティージャ。

次の日、朝5時に起床。

6時過ぎに荷物をまとめて遺跡を見にいく。

前回の投稿で話した本だけでなく、メキシコシティで会った日本人バイク旅行者の女性もティカルはよかったよと言っていたので楽しみにしていた。

しかし、昨日の夜キャンプ地で聞いたところによると、

この日はちょうど、日本でいうゴールデンウィークのような祝日で、地元民が遊びにくるのでどこも込んでいるという。

やけに人が多いと思っていたが、どうやら来るタイミングが悪かったようだ。

遺跡群ゲートの中もかなりの広さを持っており、

重い荷物を背負って疲れ、喉が渇くが水は自転車につけたままだし、朝食を食べていないので腹も減っているし、置いてきた自転車が心配で気が気ではなく、

もう戻ってしまおうか、なんでここに来たんだろう、と気持ちが後ろ向きになっていった。

本には展望台のように遺跡に登れ、そこからジャングルを一望できると書かれていた。

しかしそれらしいものは見つからない。

ああ、もし空を飛べたらそんな風景いつでも見られるのに、人間はこんな重い枷を背負わされ、地面に這いつくばりながらにじり歩いていくしかないのか・・・

などともうよくわからないことを淡々と考えていた。

するとどこかから日本語が聞こえたのでそっちを見てみると、日本人が北米から来たであろう人たちの写真を撮っていた。

きっとガイドの人だろう。

こんにちは、と通り過ぎざまに挨拶して遺跡に登ってみる。

ここも違う。



    ↑それでもいくつか写真は撮って来た


    ↑これがあの看板にあったバクっぽいやつか!これは、猿?アナグマじゃないだろうし…?

本当にここはルートなのか?というような小道を通り過ぎると売店があったのでゲータレードを買って飲む。

うまい。体に染み渡る。

よくゲームなんかで回復アイテムに飲み物とか食べ物の名前を付けているのをよく見かけるが、

実はあれ、現実でも本当に疲れが取れるのだ。

その点だけはファンタジーではない。

まあ傷が治ったりはしないのだけど。

元気がみるみる出てきた。

飲み物は即効性があるが、その分保ちがよくない。

先を急ごう。

と、目の前に木でできた階段があった。

これは、と思い登ってみる。

すると目の前には

「これはすごいな」と声が出てしまった。

まさに本で見て想像していた通りの光景が目の前に現れた。

天気が悪いせいで奥に霧がかかっているが、それでも絶景と呼べる代物だった。



    ↑少しずつ太陽が出てきた

しばらく眺め、ムービーを撮ったり写真を撮ったりしていると別の人たちが登ってきたので下に降りる。

もう疲れたのでさっさと戻ろう。

なにより自転車が心配だ。

もう盗まれたくはない。

自転車の無事を確認し終えたころには雲の隙間から青空が顔を出し、もう少しで晴れそうだ。

チケットは今日の夕方6時まで何度でも出入り自由だった。

だがもういい。

疲れたし、また自転車の心配をしながらあそこまで戻りたくない。

それに人も増え出した。

きっと晴れた景色はよりきれいだろうけど、もう満足だ。



メキシコで買ってずっと取っておいたトレイルミックス(ナッツとドライフルーツをごちゃ混ぜにしたの)を一気にかき込んだら、

さあ、帰るよ、

と自転車に声をかけ、あの賑やかなレマテの街に戻っていった。

この日は先に進もうと思っていたのだが、レマテのホテルで1泊することにした。


    ホテル前の湖は泳げる。


夕食を買いホテルへ戻る途中、日本語で挨拶されたので振り返ると日本人の女性と黒人の男性が立っていた。

きっと国際結婚をしたのだろう、2人でここに旅行しに来たのだと話していた。

数分間久しぶりの日本語を堪能し、別れた。

その女性はたぶんスペイン語が染み付いているのだろう、別れ際に「また後で」と言っていた。

後で会う約束はしていない。

彼女ともう会うことはないことはわかっていた。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm23842326






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理想郷ティカルの消滅、El Remate in グアテマラ

朝起きてテントをたたむ。
雨が降りそうな天気だ。

自転車を走らせると思いのほか早く次の目的地、El Remate(エル・レマテ)へのT字路についた。



ホテルがあったので、試しに値段を聞いてみると240Qだそうだ。
うーん、まだ金銭感覚が整っていないけど、これは高いよなぁ。


道を右に曲がると左手に巨大な湖が見えた。
そしてたくさんの車や人が行き交い、サイドには建物が並ぶ通りになる。




町へ入ってすぐに目についたhostalへ行き泊まる所を確保。



ここは1つの大家族が経営しているようで、その中の一人である黄色いシャツを着た若い男性に案内される。
テント泊は25Qで部屋は35Qだそうだ。
やっぱりさっきのホテルは高かったのか。

部屋はドミトリーと言っていたが、連れてこられたのはベッドが2つしかない個室だった。
ベッドには蚊帳がついており、室内も清潔だ。
電球も1つついている。
鍵はないが、ここの家族を見る限りきっと大丈夫だろう。
携帯の電池がもうないので、コンセントがないのが痛いところだ。





台所で洗濯をしてもいいと言ってくれたので洗い物を持っていくと、家族の父が自分のコレクションを見せてくれた。


    ↑上に四角いus$コインが!すごい



自分で赴いたり人から買ったりして集めた外貨のコレクションだった。
これでもほんの一部らしい。

色々なデザインやカラフルな色彩が施された紙幣、独特な形を持った貨幣。
外貨を見るのが好きなのでなかなかおもしろかった。
特にたくさんの色を使ったお札があって、どこの国かは覚えていないがそれがきれいだった。
しかし偽造を防止するためにこんなにもデザイン性が向上されるというのも皮肉な話だ。



洗濯も終わりシャワーを浴びて街に繰り出す。
すぐ近くでインフォメーションセンターを見つけたので入ってみると、さっきの黄色いシャツの人がいた。
ここが本業の仕事場らしい。
広域地図とこの辺の詳細地図をもらい、ちょっとした街の説明をしてもらう。

他に何かないか探索していると、ツアーと書かれた店から人が出てきて中へ呼び込まれた。
ティカルという遺跡のバスツアーをやっているらしい。

150Qで朝日か夕日を見るガイド付きのツアー。
自転車で行くのは大変、坂が急でシンドイ。
ツアー代以外にもティカルの入場料150Qかかる。

という情報をゲット。

しかし。



ティカルはこの旅で一番楽しみにしていた。
石田ゆうすけという人が本の中で世界一にあげていた場所なのだ。
きっと人がいなくて村とかもなくて神聖で荘厳で霧に包まれたような、そんな場所を想像していた。
しかし、ここですでに、何重にも観光向けに搾取するようくくられた、歴史としてではなく現在の生活の餌にされる遺跡というのが目に見えてしまった。

なんだか残念だった。


だがそのおかげでこの街はかなり活気があり、建物はほとんどホテルかレストランで、夕方になれば出店がずらっと並ぶし、警察が見張っていて治安も悪くなさそうだった。
湖からは遠くまで景色が一望できる。
観光として割り切ってしまえば居心地もよく、ジョーダン好きのここの人たちも明るくやさしく良い所だった。


無料で宿のキッチンを使わせてくれるということだったが、帰りが遅くなったので屋台の鶏肉を食べる。
値段は20Q。
量は少ないがおいしかった。


明日は自転車でティカルへ行ってみよう。



そういえばhost”e”lとhost”a”lってなにか違うんだろうか。
ずっと英語とスペイン語の違いだと思っていたが、メキシコのサカテカスで日本人旅行者は違いがあると言っていた。
ただ本人もどこが違うかはあまり覚えていなかったらしく、結局わからずじまいだった。




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