忍者ブログ

となりの国

Home > ブログ > それ以外

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

夢をあたえる



「いったい何のために生きているのか。せっかく生を受けたのだから、人のために生きよう」


という言葉には正直あまり共感しないのだけど、
でも時々、こういう風に一人勝手にフラフラと世界を走っていると


“本当にこのままでいいのか”

“生産性のないようなことを続けて許されるのか”


という、なんともやるせない気持ちになることがある。




「誰かのために生きたい」などとは今のところ露とも思えないけれど、(たぶん年齢と経験不足のせい)

でも、

たとえば、今口にしているジャガイモも誰かが作って育ててくれたものだし、
いつも走っている道路も誰かがならして整えてくれたおかげで快適に走れている。


もちろん、彼らは基本的に自分の生活のためにやっていて、仮にその人達が「俺は人のために仕事をしている」と思っていたとしても、それは“給料をもらう”という狭義があってからのものであり、2番手、ついでの理由だ。

だって、もし彼らが本気で人のためにやっていたのだとしたら、給料が減ったって文句は言わないはずだし、いっそ貰えなくたっていいわけだ。

生活のための仕事という題目がある限り、本当の意味で人のための仕事とは言えない。



そう考えれば、やっぱり一人気ままに旅をしていてもいいのかな、という気にもなってくるものだが、それでもまわりになんにも影響を与えずに生きていくのは少しわびしい。






自転車で道を走っていたりすると、村の人達が

うぉーい!!

と叫び声をかけてきたり、満面の笑みで手を振ってくれたりすることが割とある。

とくに人里離れた山中の村なんかでは多い。



みんながみんなこちらを見て手を振ってくれるのを見ると、手前味噌だがなんだかヒーローになったような、照れくさくも嬉しい気持ちにさせてくれる。



男の子ははしゃいでこちらを追いかけ、女の子ははにかんだ様子で挨拶してくれる。
お母さんは優しい目線で包み込んでくれ、ビール瓶を手にした男たちは嬉しそうにこっちへ来いと言ってくる。




そんな光景を目にしていると次第に、



もしかしたら

自分は

世界の人達に夢を与えているのではないか、



そんな気分になるのだ。




 自転車を使って世界を目にし肌で感じているという人がいて、
 そんな人がたまたま自分のところまでやってきて目撃することができた。



そんな、ちょっとだけ夢をくばる「仕事」。

それが旅人なのかもな、

ふとそう思った。




非常に自分勝手な解釈なのだが、そんなことを考えながら自分をごまかしつつ、まあ自分の中で消化するだけならいいでしょ。



そんな風に
またこれからも走ってゆくのであった。




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[2回]

PR

揺れ動く時代のように右往左往するこのブログのゆく先

さっき投稿した前号にひきつづき連投。

今回は好き勝手に書きますね。
読みにくいかもしれませんが、自分の頭の中をそのままアウトプットしてみます。
適当に読み飛ばしてください。





このブログって元々ね、

…いや”この”というかこのブログ2個目なんですけど。ファイル容量が不足したせいで増設したんですよ。
もっと言うと本当はpart3なんですけど、
ということは「これらのブログ」と言うべき? まあそれは置いておいて。



この旅ブログは元々自分だけの日記として書く予定だったんですね。
初めの頃は念のためメモ帳にも日記を付けておいていたんですが、そのうち(グアテマラあたりから)面倒になってブログオンリーになってしまいました。

メモ帳にはブログに書けないような愚痴とかつまらない話とかもいっぱい書いててそれはそれで楽しかったんですけどね。
あとブログの下書きという意味合いもありました。



で、ただの日記だからスタート時には

写真はまったく使わない、
書くスタイルも気を使わない、
あったことを多少まとめつつダラダラ書いていく

という風に決めていたですよ。

一応文章を書く練習もかねていたので内容には気をつけていたのですが、
それ以外、たとえば来場者カウンタなんて意味ないと思ってつけてなかったし、
ちょっとしたコンテンツ(たとえば現在位置情報を載せること等)の充実とか全然そんなの考えていなかった。

事件にかかわらないよう位置情報なんて載せるものじゃないと思っていましたからね。
投稿日時もわざと数日ずらしていたし。




映像もそうなのですが、じゃあどうしてネット上にあげているか。


出発前から考えていたのは、

パソコンなんてどうせ途中で盗まれるか、はたまた無事でも壊れるかするだろう

ということ。


パソコンは無くなること前提でこの旅に持って来ていたんですね。

そこで、そういう記録達をもし安全に保存しておける方法があるとしたらなんだろう、と考えまして、
そこで思いついたのがネットでした。

ネットならどこでも接続できるだろうし、そこに残しておけばサイトが封鎖しない限りはノートがにじんで見えなくなろうとパソコンがどっか家出しようといつでも閲覧可能。
基本無料。
送料手数料我が社が負担。





完璧だ。

完璧な計画じゃないか。





そう思って動画なり日記なりをアップしている次第です。

最初はgoogleのbloggerでやっていたのですが、
1つか2つ記事をあげたらなぜかBANされたのでこの忍者ブログに切り替えました。

謎の接続不可能になった。
「おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました」みたいな突然さ。
そして呪いの音楽。

だからこれは本当はpart3に当たるというトリック、皆さんは見破れたでしょうか。


なぜ忍者ブログなのかというと、それは好きなブロガーさんが忍者ブログを使っていたからです。
加藤はいねさんという人です。
かなり有名な人みたいですね。

というか、他にブログサイトこれとアメブロしか知らなかったし。




話題がずれてしまいましたが、
そう、これはあくまでもただの日記なのです。

動画もただの日記。
ちゃんと日記タグつけてるでしょ?

今ではかなり編集に力を入れるようになりましたがそれは楽しくてやっているので、エンターテインメントな部分はおまけなんですよ。
セカンダリーインポータンスなんですよ。(☜今和英辞書で調べた)

見てくれる人がいたらすごく嬉しいなーっていう軽い気持ちで作ってます。



でもね、ちょっとずつそれが違う方向性を持ちはじめてきて。


つまり、

どうしたら見やすいか、
どうやったら楽しく見てもらえるか、
たくさんの人に見てもらうには、
もっと上手な表現方法はないか・・・

そういう第三者を気にするようになってきたんです。


それがいいことなのか悪いことなのかわかりません。
今のところいいことだと思っているのですが、これからもしもそのことについて辛くなってきたら、きっと悪いことに変わるんでしょうね。

でもせっかく世界に配信しているわけですから、もっと質のいいおもしろいものを提供したい、そう次第に思うようになってきたのです。



それで色々調べたりしましたよ。

SEO対策とか。
これはこのブログにはあまり関係ないという結論に達しましたが。
まだ早い。

あとはブログの書き方とか。
「副題をつける」とかはさすがに日記では使いようがありませんが、ほう…と思わせるものもありました。
それがなにかは忘れてしまいました。

それから他のブログを読んでみたりとか。
”旅ブログ”は読んでしまうと先がわかってしまったり影響を受けて似たようなものになってしまうのが怖いので、たくさん読んでしまわないようあえて抑えているのですが、
他のタイプのブログをちょこちょこ読んでみたり読まなかったりしています。

ブログとかあまりよく知らないのでそんなに多く読めていないのです。

本当は小説のほうがいいんでしょうけど、この状況で日本語の小説を手に入れる難易度はハンパじゃなく高い。



だから読んだ小説は持って来ていた『洗面器でやぎごはん』、これはアラスカカナダ間の暇な時に5回くらい読み直しました。ホントに暇だったから。


それからカナダのホワイトホースで日本人がくれた『魔王』『砂漠』もう一個忘れた。


あとカナダのドーソンシティのブックエクスチェンジで手に入れた『とかげ』。


そしてコスタリカ・サンホセの日本人宿でもらった『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『宵待の月』。




これらは何往復も読み直しているので、このブログにかなり爪痕が残っているはずです。
書き方とか。
わりと影響されやすいんです、自分。



そしてですね、
それ故に、ここまでブログの書き方が揺らいでしまっているのです。


「ですます調」がいいのか「である調」がいいのか。
文章の練習ということで「である調」で始めはずっと書いていましたが、楽しく書くなら「ですます調」をミックスさせたほうが得意だし、
すべて「である調」で書けば丁寧で読みやすいだろうし。

写真はあったほうがいいのか。
あれば目に楽しいかもしれないけど、ブログは文章主体にしていきたい。
それに写真を挟むと読むのが一旦区切れてしまうのでわかりにくくなるかもしれない。
レンタルブログの容量の問題もある。

起こったことを丸まんま書いたほうがいいのか、それともある程度まとめたほうがいいのか。
数日分まとめたほうがいいのかもしれないし、長過ぎないほうが読みやすいだろう。
でもこれは日記なんだからあったことできるだけ正直に書いていたい。
でもあんまりネガティブなことは書かないほうがいいのかな。

他にも文字の大きさや変化、テキストカラー、行間の空け方、リンクのウィンドウの開き方などなど、
悩みはつきません。


今でもどうやって書いたらいいのか…
もう、すごい心配になりますよね。
ホントに大丈夫、これで?って。



でもね、こうやって たゆたいながら書いていくのもいいんじゃないか とも思うんですよね。
もしかしたらそのうち答えが出るかもしれないし。

自分は常に変化を求めて生きているみたいなんです。
以前このブログに「風が好き」とクサいことを書いたことがありますが、自分も風と一緒で「ずっと同じ」に馴染めないんです。

だからこんなブログがあっても、いいよね。




そんだけ。





p.s. 
今も「太字使いすぎたかな」とか「この場合本の表紙はいらなかったかな」とか考えてます。
と思ったらブログバグってて太字反映されてない(˚ ˃̣̣̥ω˂̣̣̥ )



にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[5回]

ホッチョコブレイク その4 ー チャリダーの「勘」というもの

長年なにか同じものをやっていると知識や経験則による予測と判断ができるというじゃないですか。

経験者の勘というものですね。

長い間自転車で走っていると、そういう勘や知恵がついてくるものです。

たとえば、

 空や風、動物、その他自然現象を見ての天気予測、


 太陽の位置と空の明るさによる大まかな現時刻もしくは時間経過の感覚、


 地図の図面や距離数を見たときの、そこに辿り着くまでの時間と距離感の把握、


 その場の治安状況の判断、


 交渉の法則、


 言葉が通じる現地人・知らない言語しか話せない相手、それぞれに対する友好的会話を成立させるコツ、

などです。

自分もですね、何年もチャリダーをやっているというわけでもないんですが、それでも似たような法則を見つけたりすることがあるんですね。

特に辛いときとか道に飽きてきたときなんですけど。

例を挙げると、

道のゴミの量がだんだん増えてきたとするじゃないですか。

すると町が近いのかな、とか。

もっと言うと、

右側通行の道路で対向車の運転手席側である右の路肩にコーヒーのカップが落ちているとその先にコンビ二があるかもしれないけど、コーヒーは飲み切るのには時間がかかるから30kmくらい先かな

とか。

まあゴミなんてどこでも落ちているので、これは当たる確率がそこまで高くないのですけど。

あとは山の道を走るのはキツいので、そういう勘づきが増えますよね。

山の上の方に鉄塔が建っているのが見えたら、この上りの終わりが近いだろうということとか。

なぜだろうと考えたら、電波を送受信する鉄塔ってできるだけ高いところに建てるのが多いんですね。きっと。多分。

それから上りの道で風が強くなってきたら、
その先にひらけた景色が広がっている下り道に変わるのかもしれない、とか。

逆に言うと、風がないときはまだしばらく上り坂が続くということなんですが。




これらはよく考えればわかることなのかもしれませんけどね。
でも、こういうことに気づいていくのは成長しているようで楽しいです。

こういうのが旅行の"コツ"になっていくんでしょうね。

ただ、治安が良いか悪いかという判断は未だによくわからないです。

「住人の愛想が全体的に悪ければ治安が悪いのか」という命題を立てたんですが、そうでもないみたいだし。

あきらかにスラムっぽいところでも皆やさしくて非常に協力的なところはいくつかあったし。


今後とも気をつけていかなくてはいけません。
もう少し研究しなくては。




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[1回]

ジブン率 in ひと、または世界

一時期は極端な節約を試みることもありました。

初期の頃は朝早すぎるくらい早く起きて夕方には寝るというサイクルで毎日自転車を走らせていたこともありました。

でも今それをやっていないのには、理由があります。

今地球をこうして自分の目で、手で、ふれあっているという事実、

これがあることをもう少し有意義にしていたい。

できるだけたくさんの物事を目にしたいし、多くのものに触れてみたい。

ただなんとなく 通り過ぎるというのは ちともったいないのではないか、

そう思えてくるのです。

いろんな所へ行き、たくさんの景色を目に入れて、きれいだと思いたい。

人間なんか嫌いだけど、特に大勢・団体というものが大嫌いなのだけれど、

それでも本当は好きでいておきたい。

すべてを受け入れるのは難しいけど、できるだけでいいから、自分の心に閉まっておきたい

旅を続けていくと、ふっとそう思う時があるのです。

でもそうするには、心にも身体にも余裕がないといけないと気づかされました。

体がグロッキー状態のときに誰かを心配することができません。

心がクサクサしているときに相手の想いを拾い返すことができません。

倹約を念頭に置きすぎると、自分の場合はですけど、心が狭くなってしまいます。

この人は日本から来たという外人からぼったくろうとしているのではないか

ここは他の店より高い、足下を見ている

などという懐疑心がどうしても生まれてしまうのです。

それ以外でも

たとえば自炊を自己強制した場合、ガスカートリッジの希少性により心配事が増えたり、毎日の献立の思案や食料の補充の不安を常に持ち続けなければならないということが起こりえます。

自分は近い未来に予定を立てるのが鬱になるほどのものすごいストレスになるので、こういう小さなことの積み重ねでも参ってしまいます。

朝早く起きてその日走る時間や距離を決め、たとえ疲れて今日はここでやめようと思っても無理矢理進んでいくことに、次第に疑問を覚えました。

こんなことしてなにになるんだろう。
ただ身体だけ疲れて。
他は目に入らない。

周りはこんなにきれいなのに、世界は思っているよりも素晴らしいのに、どうしてそれをまったく気にせずに走り続けているんだろう。



だから

自分は自分らしく行けばいいのだな、と

そう思ったのです。

気分屋でマイペース、いいじゃないか。

運と直感とマイナーな知識ですべてをくぐり抜けてきたことに自信を持て。

誰かと比べたり、この先の金勘定で神経質になることはない。

こうでなければならない、なんて決してないはずだろう。

みんなが立っているこの地球というフィールドで、

自分だけの世界きっと見てみよう。

なかなか難しいけれど、大事なことなので。

守っていきたいです。

感受性や、そういうなんもかんもを。



               グアテマラ・Moralesのホテルより、風邪の療養の中にて




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[1回]

PAGE TOP