- 2024/11/22
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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ベンタケマーダでは、祭りの話とそれ以外の話で内容の雰囲気が180°変わってしまうので、まずは祭りとは関係ない話を書こうと思う。
時間軸が次の投稿と重なってしまうが、そこのところご了承ください。
ジョンはこんな見ず知らずの異国人にとてもに誠実に優しくせっしてくれた。
ジョンの家に泊まっている間中ずっと一緒に行動してくれ、食事は基本ジョンが払ってくれるし、コロンビアの言葉・料理・文化をひとつひとつ説明してくれ、通訳をすすんでかって出てくれ、近場の店や町へもすすんで連れて行ってくれた。
祭りの日までの間も、祭りの日の間中も、こちらを気遣っていてくれた。
ジョンは平日は仕事なので、その間自由時間になる。
適当にウロウロしたりして、ベンタケマーダを見て歩くにの疲れたら喫茶店に入りコーヒーを飲みながら本を読む。
アイスを食べたり必要な道具類を探したり町外れでオカリナを吹いたり部屋で寝ていたり・・・
それはそれは平和な時をすごした。
↑これで1500ペソ(75円)。安くネ?
朝食・昼食の時間はかならず会い、一緒にごはんを食べてからまた別れる。
これの繰り返しだった。
ジョンのおかげでとても充実した時間を過ごすことができた。
↑コロンビア料理。おいしい
↑日本の梅干しの話をした次の日、ジョンがこちらの梅を買ってきてくれた。こちらはそのまま果物として食べるらしい。甘酸っぱく、すももの味がした。
祭りの日になっても自分の世話をしてくれる。
20kmほど離れた町、Turmeque(トゥルメケ)へと連れて行ってくれた。
教会に興味があるというのを知り、彼の仕事仲間である弁護士の女性が勧めてくれたのだ。
バイクで30分、砂利道をずっと走るとそこはある。
さすがにこの道を自転車で行くのは骨が折れそうだ。
スリップしやすいうえに隣は崖なので危ないし、車が通ると土煙が舞い前が見えなくなる。
トゥルメケの教会は本当に素晴らしかった。
その建物は昔の雰囲気が残されていて趣があるし、中は壁中に壁画が描かれてあってそれがまた歴史を感じさせた。
教会を出たところから見る景色も、山々が遠くまで見渡せて美しかった。
広場には金属のなにかで作られたオブジェが数体立っていた。
↑町の奥に山々が見えるのも好きポイントのひとつ
↑コロンビアの原住民をかたどったらしい
↑チリから来たという女性バックパッカーがいた
例の女性裁判官はこの町に住んでいるようで、毎日車で通っているらしい。
彼女がちょうどこっちに来るということで、3人で一緒にパンとコーヒーを食べ、その後彼女の家に案内された。
小さいが豪華な作りの内装に二人ため息をもらしながら見学し、一通り見終わったところで別れる。
↑ここの特産のパンらしい。名前は忘れてしまったがコーンの味がしておいしかった
もう少し町を見回り、その後疲れたので帰ることに。
バイクで走っていると雨が降ってきた。
それもかなりの量だ。
べちゃべちゃに濡れ、笑いながらベンタケマーダへと戻った。
別の日にはベンタケマーダで英語を教えているというドイツ人のクララさんと会った。
3人でコーヒーを飲みながらおしゃべり。
クララさんと自分は英語で、自分とジョンは日本語、クララさんとジョンはスペイン語を使って話すというちょっと特殊な空間になった。
祭りの日は続くが、この日はジョンの日本語のクラスがある日らしい。
自分もこっそり付いていくことにした。
ジョンは日本人が隣にいることを言いたかったようだが、先生がやりにくくならないよう何も言わずにこっそり見学することになった。
ジョンのオフィスのパソコンからスカイプでメキシコへと繋ぐ。
先生はメキシコ人らしいが、この人、字がめちゃくちゃ上手だった。
さすが先生をやっているだけある。
世間話も時々はさみながら、1時間の授業はあっという間に終わっていった。
自分の母国語を他の国の人が教えているのを見るのはなかなかおもしろい体験だった。
↑この日は漢字を教えていた
↑字、めちゃめちゃうまいでしょ?
出発日の前日、ジョンの拳銃を見せてもらい物珍しげに写真を撮っていると、銃の弾を一つ取り出してプレゼントしてくれると言った。
コロンビアでは弾を数発持っているだけなら別に問題はないと言っているが、他の国の場合はわからないと言う。
そういえば弾だけ持っていてそれが暴発とかしないのだろうか。
あれって中に火薬がつまっているんだよね。
ジョンは大丈夫だと言っていたが、擦れて火花が出たりしたら危ないのではないか。
銃が弾を発射する仕組みを理解していないので、そこのところもちょっと怖い。
ただ、ちょっと勿体なかったかな、とも思ってしまう自分がいた。
ちなみに
銃の値段、ずばり30万円。
たっか!!
パソコン5個分の値段だよ
と言っていたので、向こうはノートパソコン6万円で買えるらしい。
ビジャデレイバからベンタケマーダへと帰るときがきた。
昨日 がむしゃらに走った60kmの疲れはまだ少し残っているが、そろそろ出なくてはいけない。金銭的に。
ホステルには人がいなくて鍵の処理に困ったが、窓からソファへ投げ入れるという荒技に成功し、町を抜け出した。
ここビジャデレイバへ来るときに通った、あの地獄ののぼり坂をゆくのは気が引けるが、もう行くしかない。
余裕があれば今日中にベンタケマーダへと戻りたいが、時間的にも体力的にも厳しいかもしれない。
そのときは無理せずにまたトゥンハで一泊することに決めた。
山道に入りキツい坂を、崖や山、化石などを目に入れながら走る。もしくは押し上げる。
↑ここでオカリナ演奏動画の画像を撮った。演奏自体はビジャデレイバのホステルの庭で録音した
↑相変わらずきれいな山道
↑ここの石はところどころキラキラ光る。透明色だが、ガラスではなく何かの結晶のようだった。不思議なところだ
呻きながらその坂をあがっていると、バス一台が停まっており、多人数の若い男女が崖のそばに立ちながら何かメモを取っているところに出くわした。
そのまま通り過ぎようとしたが、そのうちの年を取った男性がこちらへ来て話をしてきた。
話によると、どうやら彼らは学生らしい。
地質学か考古学のフィールドワークに来たのだろう。
このあたりは大昔、一面海だったから。
教授らしきその男性から、
トゥンハへのルートではなくSamaca(サマカ)という町を通って行けばベンタケマーダまで近い、
という情報をいただいた。
来るときに見たあの景色やカフェをもう一度見たいという気持ちもあったが、同じ道を通るのも味気ない気がしたので、その情報に従うことにした。
工事中の道で30分ほど待たされてからT字路へ到着。
そこにあったレストランで腹ごしらえをしたあと、来た道とは違う方向へと駆け出した。
↑ここの料理は安くてうまいうえに店員も客もみんな優しいときている。すてきです
警察署があったので警官に道を聞き、ほとんどノンストップで先へ。
というのも、この道へ行く場合だとトゥンハには入らないので、途中で泊まれるところはおそらくない。
つまり一気にベンタケマーダへ行くしか方法がないのだ。
空は曇天。
雨が降りそうだ。
↑サマカのセントロ(中心部)はこちら。草花がたくさん植えられてあって良さそうな町だった
雨が降らないよう祈りながら激坂に対抗する。
苦しい。
昨日の疲れも残っており、すぐに脚がガクガクしてくる。
途中立ち話していたカップルに
もうすぐ頂上でそこから下りになるよ
と教えてもらったが、その頂上がなかなか見えない。
苦しみ喘ぎながらその峠に辿り着いた。
小さな集落があり、そこから緩やかな下り坂。
景色はきれいだが小雨がたまにぱらつき、下りは緩やかすぎて自分でペダルをこがなくては自転車は先に進んでくれない。
↑こんなところに線路が走っていた。まわりはなにもなく起伏もそこそこあるのによく敷いたものだ
1時間ほどたっただろうか、ようやく見覚えのある道に出ることができた。
ここからは楽勝だろう、と思っていた。
ところがどっこい道はのぼりに変わる。
疲れた体にこれは堪えた。
ベンタケマーダはまだか。
・・・・・ダジャレじゃないよ。
小さなレストランで何度も休憩し、アレパとティント(コロンビアのトウモロコシパンとブラックコーヒー)を頼んで体力回復に努める。
↑こっちのアレパ
↓これと比べてみると違いがわかるだろう。これはメデジンのアレパ(写真右)。これもバターたっぷりでおいしかったが、もっと北のアレパはパサパサしてて激マズ
3度目のコーヒーブレイクのあとすぐ、脇を通る車から手が出てきてアレパを差し出してくれた。
さっき食べたばっかりなのだが、しかしこれはありがたい。
このあたりのアレパは菓子パンのようで非常においしいので、多少お腹がいっぱいでも口に入る。
夕焼けに染まり次第に闇にまぎれる空と雲を眺めながら、ようやくベンタケマーダに着いた。
かかった時間、約9時間。
つ、疲れた…
いつものレストランでジョンを待つ。
祭りが近いせいで町の広場には白や黄色のタープテントが一つ二つと建てられてつつあった。
駄菓子の屋台が出回っていた。何個かジョンが買ってくれた
疲れているので早く休みたかったのだが、ジョンは外へ連れ回そうとしてくる。
必死の”疲れたアピール”が功を奏し、早めに帰宅してくれた。
今日中に着くことができて本当によかったと安堵とともに、その日の夜はジョンとのおしゃべりに花を咲かせたのだった。
ビジャデレイバに入って、まずはホテル探し。
しかしどこに聞いても値段は高く、一番安くても30000ペソ以上してしまうという。
これは野宿かな、と思いながらフラフラさまよっていたら、とあるホテルの前、中から人が出てきて助け舟を出してくれた。