- 2024/11/25
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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夜の賑わう小さな酒場街ドラダールを抜け出し、次の町へ。
目指すは下の看板にみえるPuerto Triunfo(プエルトトゥリウンフォと読むのだろうか)。
サンルイスからドラダールまでかなりの距離があったので、ドラダール〜トゥリウンフォ間も地図上では近く見えてもきっと遠いのだろうなあ
と予想するも、それとは裏腹にすぐについてしまった。
それはそれはもう、特に書くことがないくらいの”すぐ”加減だった。
プエルトトゥリウンフォに入るには本道をそれて右手に曲がらなくてはいけないらしい。
せっかく行こうと思っていたし、きれいな場所だったらもったいない、寄り道になるがちょっとのぞいてみるか
とハンドルを切った。
しばらく新緑の広がる道路を走り、どのくらいハイウェイから離れているのかちょっと心配になってきたあたりで到着。
川か湖のとなりにたたずむ小さめの町、プエルトトゥリウンフォ。
なかなか静かな町だ。
ゆったり過ごすにはうってつけな雰囲気が漂っている。
まだ時間は早くここに泊まる気などさらさらなかったのだが、なんとなくホテルをとってしまった。
この別荘地のような雰囲気に流されて。
まあ今日はゆっくりしていよう。
と思ったら、部屋に入った途端、なんとホテルの前で壁が振動するほどの爆音がスピーカーから流れ始めるではないか!
静かな町だと思ったら全然違った。
全然騒がしい。
それでも騒音に少しばかり耐性のある自分は悠々と昼寝を決め込む。
起きると夜7時。
腹が減った。
レストランを探すが見つからない。
バーの料理は小さくて値段も高い。
ついでに言うとホテル代も高かった。
ヒドい。。。
この町はもう思い出したくない。
翌日、さっさとここを出る。
途中の水がなくなってきたので、途中にあった小屋の店で水と昼食を購入。
店員のおじいさんとしばらく話をして、傷だらけの飼い犬トト君を眺める。
ノミがついていたので取ってあげたが、そのときに思いっきり毛を引っ張ってしまったらしく、
「なにすんの」
という嫌そうな顔でこちらを見つめてから離れていってしまった。
嫌われた。
おじいさんの話によれば、この先は平たんであり、次の町まで40〜50km離れているが自転車で3時間で着くだろう、ということだった。
道路をそのまま走っていくと1時間かからずにT字路にぶつかった。
左へ行けばBoyaca地方へいける。
本当はこちらへ行きたいのだが、今は滞在日数の終わりが迫ってきている。
残念だったが右のBogota方面へ進んだ。
アップダウンがあり脚に負担がかかる。
ここを抜けると平地になるのだが、なかなか平らになってくれない。
疲れが見え始めたころ、自転車のタイヤがパンクした。
久しぶりのパンクだ。
直射日光が強いので、無人だった道路工事のタープの下を借りて自転車を分解した。
非常に暑く、水ももうない。
シャツを脱いで修理。
疲れと暑さで頭がボーッとしてきた。
途中なぜか2回も道を尋ねられた。
パッチがうまく付かず修理はそこまでうまくいかなかったが、とりあえず空気漏れは防げたので先へ進む。
ホテルが見え、そこで部屋をとった。
喉がカラカラだったのと安かったのもそうだが、ここで泊まった一番の理由は子犬が3匹いてかわいかったからだ。
他にもネコが数匹いたがすぐに逃げてしまった。
子犬はずっと昼寝をしていて遊べなかった。
近くにレストランがなかったので、1kmほど先の村へいって買い出しと夕食。
レストランはバスターミナルにしかないらしく、とても高かった。
ここのところ物価運に恵まれていない。
帰りに道路の真ん中に堂々とした顔でたたずむトカゲを発見。
車に乗っている人達はみんなトカゲを踏むことなくうまく避けている。
ガンガン走らせていそうな南米の車も、実はそうではないのかもしれない。
〜〜〜〜〜
中級!?スペイン語講座
「少し」というスペイン語はpoco(ポコ)といいます。
「スペイン語話せる?」と聞かれたときにun pocoと答えたりします。
しかし普段はpocoよりpoquito(ポキート)の方がよく使うように思います。
買い物で少量欲しいときにun poquito, por favor(ウンポキートポルファボール)と頼むときに便利です。
この2つの違いはといいますと、poquitoのほうが少ない量を強調する言い方なのです。
単語のあとに-ito(男性名詞)/-ita(女性名詞)をつけると、
小さい〜、少ない〜
という意味になります。
たとえば、ネコという意味のgato(ガト)をgatito(ガティート)にすると「子ネコ」という意味に変わります。
日本語でも同じ意味で動物の名前の前に「子」をつけたり、他の名詞の前に「小」をつけたりしますよね(小石、小国など)。
これと一緒だと思います。
以前話したsopitaもこれに当たります。
手と表情で「ちょっと!」と表すとよりよく伝わるので、機会があったら試してみて下さい。
ちなみに、「少ない」ではなく「小さい」はpequeño(ペケーニョ)といいます。
ただ、pequeñoでもpocoでも、はたまたchico(チコ、元々は男の子の意だが買い物をするときには小サイズという意味もある)でもちゃんとわかってくれます。
〜〜〜〜〜
体が疲れていたので少し多く眠り、昼前に出発。
プールへ連れて行ってくれた人にはさよならを言いそびれた。
結局名前も聞きそびれてしまった。
彼の家を教えてもらっていたので、その家にいた父親らしき人(実際どうかは不明)にデジカメの写真を見せてみた。
しかし言葉が全く通じずダメだった。
写真を見せて「どこ?」と聞けば大体の意味は分かると思うが、なぜわからなかったのだろう。
非常に腹立たしかった。
坂をくだりながら先へ進むと、昨日会った人達の家が道沿いにいくつか並んでいるのがわかった。
なぜわかったかというと、昨日遊んだみんなそれぞれが自分の家の前に出ていたからだ。
彼らにさよならの挨拶と一言二言言葉を交わした。
英語が上手だった人には、「最初に誘ってくれた彼によろしく言っといてくれ」と伝言も頼んでおいた。
それから、別の兄弟には自転車のパンク修理を頼まれ(言葉が通じないために頼まれていることも最初はわからなかったのだが)、直してあげたらレモネードと2000ペソをもらった。
こんなこともあるもんだ。
ラッキーだ。
そのすぐ先にあった、戦車が飾られた所のレストランでスープを注文。
そこの客に英語で話しかけられ質問攻めにあった。
最近本当に人との交流が増えている。
意図していないので、それだけコロンビアの人が話し好きだということだろう。
↑戦車のそばにあった看板。この上の突き当たりまで行けば、あとはまっすぐ進むだけでボゴタに着くはずだ
レストランを出て橋を渡ったところから始まる地獄の上り。
かなり低い所まできたようでかなり暑い。
ただでさえ坂で辛いのに、体温の上昇と体の水分が飛んでいくのがかなりの痛手だ。
途中ぽつんと建っていた店で飲み物とチップスを購入。
高かったのでチップスを断ると、値下げしてくれた。
そこの雇われ店員の男性としゃべったり、その店の女性と子ども達とおしゃべりしながら犬をこちょばしたりしていたら、時刻はいつの間にか3時30分になってしまった。
長居しすぎたようだ。
本当は上の写真の地図にある Doradal(ドラダール)という町まで行きたかったのだが、今日は間に合わないだろう。
どこか近場で宿を探すことにする。
1kmほど先に進むと、宿と店と食堂が3軒並んでいるところがあった。
「村」とまでもいかないところだが、1泊するには十分だ。
そこで部屋をとる。
値段は15000ペソで格安、窓は無く少し暗いが電気をつければ気にならないし昨日のところより広い。
扇風機もついている。
高かった宿の物価が戻ってくれて嬉しい。
だが、それ以外に戻ってきたものがある。
それは熱帯夜、
そしてそれに付属する、
そう虫の問題である。
前日の宿でも出たのだが、ここにもゴキブリが出た。
大きいのは2匹出て、しかもその1匹はベッドに座っているときに手元でうろちょろしていたのでかなりビビった。
退治には成功したが、いやはや、はやく寒いところに行きたい。
言い添えると、宿以外の物の値段はかなり高かった。
翌日。
店で軽い朝食を摂り自転車にまたがる。
今日こそはドラダールまで行こう。
しばらく走るが町らしい町は全然出てくる気配がない。
看板地図のSan Luisにはすぐに着いたのでその2倍の距離を予想していたのだが、本当の距離はもっと離れていたようだ。
まあこういうのはよくあることだ。
気にはしていない。
水たまりにチョウチョがかたまっていたのが綺麗だった。
なにか物音があるとパッと広がって、黄色い爆発がおこる。
この通りは動物注意の看板がたくさん立っているのだが、その種類が豊富でおもしろい。
アリクイに
ヘビ、
カメ、
トカゲ、
それからキツネ。
いやオオカミかもしれない。
こんな道を走りながら、昼過ぎにやっとドラダールの町に到着した。
意外と賑わっておりとくにバーが多かったので、夜に本来の姿を見せるタイプの町なのかもしれない。
ここのところずっとwifiがない生活だったせいもあり、ここではぜひとも手に入れたいところだ。
しかし、ホテルを数軒まわれどもネットが使えそうなところがなかった。
もともと使えなかったりオーナーが夜に帰ってくるのでそれまで使えないと言われたり・・・
しかも宿代が高い。
最終的に値段がそこまで高くなく、室内でネットが繋がるホテルを見つけてそこにする。
が、ここも結局カウンターのところでなくてはwifiがきちんと届かず、しかも最後には故障だかなにかで全く使えなくなってしまった。
宿問題はなかなか厄介だったが、それ以外は居心地のいいところだ。
夜まで店が開いているので、暗くなってから小腹がすいても買いに出かけられるし、観光客が多いせいか接客の質もよく、人々がみんな穏やかだったのもいい。
結果、やはり連泊してしまうのだが、
がんばって3泊で抑えた。
アイスも安くておいしかった。
これはcafe(コーヒー)とleche(ミルク)。
ミルクがすっきりとした味で、暑いこの地域にはピッタリだった。
朝起きるとおばあさんが外で作業していた。
この庭に今度なにか作るらしい。
テントを張らせてもらったところに肥料があったので、畑を作るつもりなのかもしれない。
荷物は手を付けられていないようだ。
テントを片付けて出て行こうとしたところ、朝食を作るから待っててと呼び止められた。
昨晩テントの中で両腕を30ヶ所以上虫に刺され痒かった。
両腕に小さな赤いポツポツが広がっている。
それを見たおばあさんは葉っぱを数枚むしり取り、水で揉みほぐして腕にこすりつけてくれた。
芋料理と油で揚げた小さな肉の塊、それからココアを作ってくれた。
以前にもアルゼンチンのチャリダーがここへ泊まったことがあり、そのときもこのように料理をふるまって写真を撮られたという話を聞き、
それじゃあその習慣にならいましょう、ということでおばあさんの写真を撮らせてもらった。
別れ際に
もう一泊しておいでよ、出発は明日でもいいじゃない
と引き止められた。
しかしそうも言っていられない。
少しでも先へ進まなければならない。
お別れを言う。
神様に祈りを捧げられて。
さびしそうな顔でたたずむ姿が尻目に映った。
昨日とは反対に上りがずっと続く。
途中でコーラなぞを買って飲みつつ自転車を押して歩いた。
5kmほど先にいったところでホテルと店とレストランをいっしょにやっている小さな店を見つけた。
そこで休憩。
水を補給していると、椅子に座っていた若い男性が話しかけてきた。
話が理解できていないと分かるたびに大げさな笑い声を上げる。
なぜか気に入られ、
近くにプールがあるから泳ぎにいこう
ということになり、荷物共々そちらへ向かった。
そこは天然のプールになっていて、若い男女が泳いだり談笑したりして遊んでいた。
荷物はみているからそこへ置いて着替えておいでよ。
心配ではあったが、せっかくだし泳いでいくことにした。
水は緑であまりきれいではない。
非常に冷たく、ずっと浸かっていると体が冷える。
そこで陸に上がると、今度は太陽がギンギンに照っていて体を焦がす。
中に入ると寒く外に出ると暑い。
どこかのなぞなぞか!という話だ。
中はヒエヒエ、外はアツアツ、これなーんだ。
水中でバシャバシャしたり水際でみんなと写真を撮ったりしゃべったりしながら過ごす。
ここにいる全員が友達だからな
と言ってくれた。
いい時間になり、泳ぎ疲れてダルさを感じていたので、さっき水を補給したレストランに泊まることにした。
あそこはホテルも兼任していると書いてあったのだ。
1泊12000ペソ(600円)ととても安い。
だがすごく悪い部屋ということでもなかった。
狭く窓も全解放するか閉めるかの二択を迫られる構造で、扇風機がなかったので暑かったが、それでもこの値段にしては上出来だ。
↑中はきれいにされている
↑窓からの景色もよかった
料理もそれほど高くなく、しかもすごくおいしかった。
クリスマスにサントゥアリオを抜け出す。
↑首都のボゴタまでは373km。非情な数値である
サントゥアリオから先へ行くと、景色はなにもない山の中へ。
そしてしばらく走ると、目のまえに唐突に崖が現れる。
そこは観光地になっているようで、レストランやレジャー案内所、ホテルが点々と現れては消えていく。
↑崖を見下ろせるレストランもある
↑パラグライダーが主流のアクティビティ。やってみたい。が、怖い
ここから道は急なくだりになり、楽に先を急ぐことができた。
高度が急激に下がったようで、気温は急上昇。
日陰に入ると肌寒かったのが、日陰でもまだ暑いほどになった。
空気が乾燥していたのも、ジメジメとした気候に変わった。
秋の終わりから突然真夏になったような気温差だ。
体感季節がどんどん変わり、体がおかしくなりそうだ。
せっかく短パンから長ズボンにしたのに、これでは意味がない。
20kmほどくだって今度は上り道。
自転車を押し上げる。
天気がよくなり汗が止まらない。
体力を著しく消耗している。
休憩がてらにオカリナを吹いていたら、子犬がこちらに歩いてきた。
こちらが動くとビクッと少し退く。
しかし興味はあるようで、オカリナをしまって自転車をゆっくり押して進むと、数歩前を着かず離れず小走りにテチテチ走る。
そのまま彼女に先導されて先へ進む形になった。
↑困り顔で道案内してくれる
後ろをチラチラ見ながら早足で坂をのぼっている。
彼女はどうやらあまり世間慣れしていないようで、車やバイクが来てもギリギリまで気づかない。
こちらが教えてあげても不思議な顔をするばかりだ。
そしてギリギリになって慌てて横っ飛びに避ける、を繰り返す。
そのうち宿が見えたので、値段を聞いてみた。
28000ペソ(1400円ほど)と高かった。
戻ると子犬はこちらを待っていてくれたようで、またいっしょに歩き出した。
その先、大きなレストランで大型の犬2匹に追い立てられた子犬は、反対方向へ逃げていってしまった。
そこは小さな村になっていた。
道の端に埋設された小さな標石には 47 の数値が書かれている。
スタート時には 0 だったので、今日は47km走ったことになる。
昼からスタートしたにしてはまあまあじゃなかろうか。
hospedaje(宿)と書かれた看板があったのでそこへ尋ねてみたが、ダラッと椅子に座りながら気だるい雰囲気のまま「部屋はない」言われた。
他のところでテントを張ってもいいか聞いたが、それも断られる。
するとそこにちょうど買い物に来ていたおばあさんが大きな目でこちらを凝視したあと、
「この先に広場があるよ」
と教えてくれ、買い物をすませると道案内してくれた。
危ないからもっと脇を歩きなさい。
とおばあさん。
草の中に落ちているゴミを拾い、使えないとわかると投げ捨てながら道路を歩く。
道の端にある草むらをかき分けていくと、そこにボロボロの小さな小屋があった。
まわりはゴミで散らかっている。
その裏手に案内された。
大きな庭のようになっていて、一番奥に物置のようなつくりの場所がある。
「広場」と言うからには公園を想像していたのだが、着いた先は彼女の家の敷地だったようだ。
トタンでできた屋根もあり、ここなら夜露や雨にも濡れないで過ごせそうだ。
おばあさんはこの小屋にすんでいて、晩ご飯を作ってくれた。
だれも泊めてくれなかったでしょう? ここの人は自分のことしか考えてないのよ!
とおばあさんが怒った顔で言う。
おばあさんは料理がとても上手で、まな板がなくても手の上でスイスイと肉をさばき、ポテトはまるで売り物のようにきれいな形と味に仕上がっていた。
物はなくても、そこら辺にある植物や拾ってきた物でなんでもまかなってしまう。
そこここに落ちているゴミに見えるものも、それぞれちゃんとした役割があった。
こんな貧乏そうな人にただおごってもらうのも申し訳ないので、こちらからもメデジンで買ったインスタントラーメンを差し出した。
なかなか通じない会話の中であーでもないこーでもないと言い合い、時間が過ぎていった。
それにしても彼女はどうやってお金をかせいでいるのだろう。
料理で使われていた材料は店から買ってきたものだった。
意思疎通を計ろうと出してくれた自転車柄のノートを覗き見ると家計簿がつけられていたのだが、お金を支払った金額は高からず低からず。
両親は小さい頃に亡くなり、子どもがいたが今は別の町へ行ってしまったと言っていた。
夜に貸してくれたライトもかなりいいもので、しかも新しい。
以前このような状況でものを大量に盗まれたので、どうしても色々考えてしまう。
夜テントに入って寝るときにおばあさんの素振りが怪しかったので、警戒しながら眠ることにした。