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となりの国

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自分自身に「呪い」をかけたことが旅の始まり

長期旅行をしている人達はみな、
人生のなかで旅に出る重大なきっかけがあったり、
旅をする目的や価値を見いだしてから出発したりするのだろうか。

たとえば、

自分を変えたい、とか

世界遺産を制覇したい、とか

世界情勢を実際にこの目で確かめたい、とか。


この旅行でどうしたいか、その明確な目的を持っているのだろうか。

あなたはどうですか?

旅をする意味や目的を持っていますか?

自分はありません。

なんにも持っていません。

ではなぜ、旅をしているのかというと、

それは・・・・・

小学生5年生のとき、先生から

「そろそろ将来の夢を考えた方がいいぞ」

と言われ、

じっくりと考えるでもなくそれでも頭の片隅にその言葉はあって、暇があれば思い出していては忘れることを繰り返していたそんなある日、

そういえば”将来の夢”というのは職業じゃなくてもいいんだな、やりたいことでもいいんだな

と思い立った。

やりたいこと、やりたいこと、

なんだろう。

そして唐突に頭によぎったのが、

世界をじっくり歩いて旅をしてみたい

というものだった。

それまでそんなこと考えてもいなかったのだが、なんとなく頭に浮かんだそのフレーズは、火にかけて吹きこぼれるミルクのように自分の感情を一気に沸き上がらせた。

そうだ、それがやりたいんだ!

居ても立ってもいられなくなった。

『今を生きる』という映画をご存知だろうか。

そのワンシーンで、登場人物が「そうか、僕は将来小説家になるんだ!」と、友達と一緒に部屋を駆け回りベッドで飛び回るシーンがあったのだが、まさしくその状態だった。

実際ベッドの上を飛び回ったわけではないのだが(そのころ自分用の部屋もベッドもなかったし)、それと同じ嬉しさやら喜びやらがこみ上げてきたということだ。

そしてその感情がなくなる前に、すぐに自分自身といくつもの約束をした。

きっと将来忘れてしまったり、億劫になったりするだろう。

自分の性格上そのことがわかっていたので、この夢が消えてしまう前に先手を打ったのだ。

そのくらいこの発見は揺るぎないものだった。

どんな約束をしたかというと、具体的には次のようなものだった。

・このこと(旅をすること)は将来絶対に果たすこと。

・誰がなんと言おうと、違法だったとしても、たとえ自分自身がそれをやりたくないと思っても、絶対に実行すること。

・行動に移すまでは死なないこと。

・この約束は取り消さないこと

などなど。



その上から

・この約束は忘れず、絶対に破らないこと。

と付け加えて2重の約束でがんじがらめにし、

こうしてこの約束を強制的に守られるようにした。




まあ、いわゆる中ニ病というやつだろうか。
それでもこの約束の影響力はすごかった。

「約束」というより「呪い」といってもいいかもしれない。

自身を縛るには十分な効果があった。

夢は現実的になったが、そのぶん将来の道は狭まってしまったとも言える。





これが旅をするきっかけ。
特になにごともなく、突然ひらめいただけの夢。
旅をする高尚な理由などなにも持ってはいない。

今、その頃の自分との約束をただただ果たしている最中だ。



しかし目的もなくただ旅をするというのもなんだか味気ない。



”道をどんどん進んで終わり。”


それでも全然構わないのだが、それだと旅をしている意味がなくなってしまうような気がしてならなかった。

今でもまだ旅をする理由は見つかっていない。

そこで、色々なところに寄り道してみたり、ゆっくりじっくり進む。
その理由を見つけるために。


変な話だが、人生はそんなものかな、とも思う。
行動が先に出て、あとからその行為の意味を探し出そうとする。
そういう人も多いのではないか。



今度は高校生のころの話だが、
できるだけ人には隠していたこの夢を担任の先生に話してみた。

すると、
「なにか目的を持った方がいいよ」
というアドバイスをいただいた。

「たとえば博物館を回るとか、色々な語学を勉強するとか・・・」

”旅の目的”を探しているのは、そんな彼女の言葉が今でも頭にこびりついているためなのかもしれない。
この旅行中になにができるのか、それを時々考える。




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ニカラグア滞在の現状報告!!





最近あまりブログを投稿できていないので、近況報告を。

といっても全然書くこともなく、ないからこそ更新もはかどっていないわけだが。



大きな出来事と言えば、チケットの日にち変更に失敗したことだろうか。

本当は5月27日にコロンビアに戻れるはずだったのだが、国際電話がうまく繋がらないのでコロンビアの友達に頼んだところ、後日まったくなんにもやってくれていなかったことが発覚。

ホステルで知り合った人に協力してもらい調べた結果、すでに5月と6月のエコノミー席はソールドアウト。
高いチケットしか残っていなかったのだ。


それでも新しいチケットを買うよりは安いのだが、そうはいってもさすがに今は手が出せない値段で、それよりも変更せずにそのままのチケットを使った方が安上がりかもしれないという決断が下る。



一応他の人からもアドバイスをもらった。

団体ツアーに参加して途中でドロップするという方法があるらしいのだ。
そうすると普通に個人で飛行機のチケットを買って行くよりも安く辿り着けるらしい。
ただし国境を越える時はツアースタッフには任せずに自分でやらなくてはならないし、なにより旅行エージェントの了解を得なければいけないので少し敷居が高い。


一応コロンビアへのツアーをネットで調べてみたが、ここからだと思っていたほど安くなく、しかもすべてスペイン語なので手続きがやっかいだった。


面倒なのでやっぱりここに残ることにした。

でもこれは結構便利そうなテクニックなので今後のために覚えておこう。




あとは取り立てて書くほどのことは起こっていない。


この空いた時間をどう使うのか。

金銭をなんとかフォローするために仕事を探そうにも、残り1ヶ月ちょっとととても中途半端な時間しかないため、どこかで雇ってもらうのは厳しそうだ。

かといってオカリナを路上で吹いても多くて1日40コルドバ(160円ほど、ちなみにホテル代は500円)しか稼ぐことができない。

突っ立って吹いているだけなのでこれぐらいだが、ちゃんとパフォーマンスすればもう少しはいくのかもしれない。


が、怖い。
大勢の前でしゃべって演奏する勇気も自信も、今はまだない。





金銭的には苦しい一方だが、ホステル内ではリラックスしてすごせている。


従業員たちはみんなこちらのスペイン語力アップのために協力してくれているし、
自分と同じくここで長期間滞在している人も数人いて、その中の一人とも仲良くなった。

このホステルはベッド数も少ないが人も少ないというちょっと経営が心配になる宿だったので、自分と同じように長い期間泊まっている人がいるというのは珍しい。




料理も少しずつだが慣れてきたように思う。

味見をしてもらうとおいしいと言ってくれることが多くなった。


    ↑オムライスを作った。卵が高いのでケチった結果ライスに圧倒されるものの半熟具合はうまくいった。ケチャップは買えないので塩で味付け



なかなかチャーハンがうまくいかなかったためか、ある日元料理人のスタッフがチャーハンを作ってくれた。




味はおいしくコクがあり、卵でフワフワになったごはんの食感とピーマンの歯ごたえもいいバランスだった。

しかし味付けにチキンコンソメを使うのは反則だ。

自分は節約のためそれを封印していたのだ。



作るばかりではなく現地の料理もよく食べている。

公園では30コルドバ(120円)という安さで軽食を出してくれるところがあるし、ここニカラグアの有名な料理というのもちょっと買ってみた。


    ↑日替わりでメニューが変わる30コルドバの料理。この日はチキンライス




    ↑ビゴロンという名前。笹のような葉にくるまさった郷土料理で、中に揚げた豚の皮と酢漬けキャベツなどが入っている




    ↑こちらはガジョピントという家庭料理。母の味らしい




    ↑ビゴロンとガジョピントを食べてる風景をネットの生放送で中継しようとしてうまくいかなかったところを撮影。
     回線がプツプツなうえに宿泊客がどんどん帰ってきてしまいうまく話せなかったのと、もっと食べ物を用意しておくべきだった




バスキング(大道芸)でオカリナを吹くのは夜なので、昼間はブラブラしたりオカリナの練習をしたり買い物したりホステルの人達と軽く話したりチェスのグランドマスターの試合を覗き見したりしてすごしている。

チェスはパソコンに最初から入っていたソフトを使ってメキシコに旅行中のときにルールを覚えたのだが、そのソフトに一度たりとも勝てたためしがない。

いつかこのパソコンを打ち負かす日を夢見ていたので、チェスには興味があった。



少額をかけながらほぼ毎日試合をしているようでそれを眺めていたのだが、ある日「ちょっとやってみないか今日はタダでいいから」と誘いを受けた。

席に座る。

アドバイスをもらいながらやってみて、
結果はぼろ負け。
まあそうでしょうね。



他の国でもたまーにチェスをしている人達を見かけた。

おそらく彼らもお金をかけていたはずだ。




つまりだ。



チェスの腕がよければそれで稼げるということだ。




チェスに自信のある人はやってみるといいかもしれない。

他にもトランプやドミノ、ペットボトルのふたを使った石取りゲームなんかをやっているところもよく見かけるので、それらの腕前を鍛え上げてから旅行すればなかなか楽しいものになるのかな、というのがこれまで路上賭博をちょこちょこっと覗き見してきた印象である。


警察に見つかったら捕まるかもしれないけどね。




そんな感じで日々をすごしているのだが、この時間を使ってもう少しなにかできないか模索中だ。


このブログはコロンビアに帰るまで書くことがなければ日記は少しオヤスミして、適当に思いつくまま書き連ねようかと思っている。



あとごく最近になって写真のレタッチを少し覚えたので調整しているのだが、どうだろう。

見にくいかな。


こういうのってあんまりいじらない方がいいのかもしれないが、写真だとどうしても目で見るよりも色がくすんで写ることが多い。

これで改善されればいいのだが。



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料理と大道芸の上級者たちを見て学ぼう。





毎日ホテル代がかかるようになってしまったが、ここの暮らしにも慣れ始めた。


せっかくなのでここで料理の練習をすることに決め、毎晩料理を作ってはスタッフたちに味見してもらった。
そのおかげで彼らとは仲良くなれた。


その中に以前コックをしていた人がいて、その人に料理を少し教えてもらったり、自分が作って味見してもらった料理の見本を後日作ってくれたりしてとても助かっている。



同じ料理を何度も作ってうまくできるまで挑戦する。

食材費をケチって作るので、おいしく仕上げるのはなかなか難しい。



以前ニコ生で放送しながら作った失敗リゾットは、2回ほどの練習でそこそこ食べれるようになった。


    ↑見た目は汚いが味はまあまあ良くなった。チーズも油もニンニクも使っていない



ミートソースのペンネは一発で成功。
トマトの酸味をどう消そうか考えていたが、煮込むと消えてくれた。
玉ねぎを長く炒めたのがよかったのかもしれない。




    ↑ペンネは宿泊客が置いていってくれたものを使用。つまりタダ



安く作ろうということで、安料理の定番スパゲッティを購入。

玉ねぎとニンニク(しょうがないから買ってきた)だけを使った香りパスタ。
玉ねぎの甘みを十分に生かすことに成功し、かなりおいしくできた。



    ↑まわりに分けすぎて量が少なくなった



料理の腕も回復してきたかな、
と思いきや、これ以降なかなかうまくいかなくなった。

チャーハンやスープなどを作ってみたのだが、難しい。

もう少し工夫が必要かもしれない。





サンドイッチ売りからオカリナを吹いて稼ぐほうに方向転換したはいいが、うまく稼ぐことができない。

そのうえ近頃は満足できる演奏ができなくなっていて、自信も喪失していた。



そんな中、同じドミトリーに泊まっていた人達が太鼓を持っていた。
大道芸の道具もあったので話を聞いてみると、やはりバスキング(大道芸)をしながら旅行しているらしい。

日によってマチマチだが、多い時は一日に2000コルドバ(8000円)稼ぐ時もあるし、一番多くてus$1000、十万円以上も稼いだことがあるそうだ。

これはチャンスと思い、彼らについていってみた。



夕方、バーやレストランがかたまっている通りで合流。


道の端でセッションしようと誘われるが、どうすればいいのかわからない。

「感じるままに自由に」

と言われてもそんな腕は持っていない。


他のところでもそんなことを言われたことがあるのでここで書いておくが、


そもそも自由に演奏している人っていうのは持ち前のセンスうんぬん以前に元々色々なジャンルのポイントがわかっていてどうすればそのジャンルになるか、その中でどういうテクニックがあるか、というのを体感的に知っている人、知識のある人ができる行為であって、天才やそういう教育を受けた人などを除いてそんな誰でもできるわけではない。つまり演奏経験豊かなうまい人が知識と経験に基づいてなにもないところから自由に演奏したりまわりの演奏に合わせることができているのである。


ってスペイン語でなんて言うんですか。





セッションがチグハグな感じで終わり、それでは人前でやってみましょうということになった。

こちらは見学希望だったのでその旨を伝える。


すると太鼓を演奏していた彼が、バーの席に座って飲んだり食べたりしている人達の前へ出て叫んだ。


「holaholaholaなんとかなんとか〜〜」


全然聞き取れないが、言葉をまくしたてて観客をはやし立てている。

そして太鼓を叩き始め、歌を歌い出した。








情熱的な演奏が披露され、一テーブル一テーブルごと回ってチップをもらいにいく。


見てみると、大体半数のグループがチップを入れてくれ、しかもすべて紙幣だった。

つまり少なくても10コルドバ札(40円)か20コルドバ札(80円)を入れている計算になる。


自分の場合は多くて20コルドバが限界だった。




これを見てわかったのは、

この町ではジッと立って演奏するのはそんなに効率的ではないということと、

スペイン語が堪能でなくてはいけないこと、

それから本当の意味でのパフォーマンスが必要になるということだ。



これは自分には向いていないのではないか。
そう思ったが、実際に間近で見てみて一度だけならやってみようという気にもなった。




調子がいいときに。
いつかきっと。




と言って結局やらない気がする。



だって怖いじゃん!!
知らない人の前で突然演奏するとか!
しかもそんなにうまくないのに!
スペイン語はしゃべれないし!!!



それでももしやった場合は、ここに報告したいと思います。










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夢をあたえる



「いったい何のために生きているのか。せっかく生を受けたのだから、人のために生きよう」


という言葉には正直あまり共感しないのだけど、
でも時々、こういう風に一人勝手にフラフラと世界を走っていると


“本当にこのままでいいのか”

“生産性のないようなことを続けて許されるのか”


という、なんともやるせない気持ちになることがある。




「誰かのために生きたい」などとは今のところ露とも思えないけれど、(たぶん年齢と経験不足のせい)

でも、

たとえば、今口にしているジャガイモも誰かが作って育ててくれたものだし、
いつも走っている道路も誰かがならして整えてくれたおかげで快適に走れている。


もちろん、彼らは基本的に自分の生活のためにやっていて、仮にその人達が「俺は人のために仕事をしている」と思っていたとしても、それは“給料をもらう”という狭義があってからのものであり、2番手、ついでの理由だ。

だって、もし彼らが本気で人のためにやっていたのだとしたら、給料が減ったって文句は言わないはずだし、いっそ貰えなくたっていいわけだ。

生活のための仕事という題目がある限り、本当の意味で人のための仕事とは言えない。



そう考えれば、やっぱり一人気ままに旅をしていてもいいのかな、という気にもなってくるものだが、それでもまわりになんにも影響を与えずに生きていくのは少しわびしい。






自転車で道を走っていたりすると、村の人達が

うぉーい!!

と叫び声をかけてきたり、満面の笑みで手を振ってくれたりすることが割とある。

とくに人里離れた山中の村なんかでは多い。



みんながみんなこちらを見て手を振ってくれるのを見ると、手前味噌だがなんだかヒーローになったような、照れくさくも嬉しい気持ちにさせてくれる。



男の子ははしゃいでこちらを追いかけ、女の子ははにかんだ様子で挨拶してくれる。
お母さんは優しい目線で包み込んでくれ、ビール瓶を手にした男たちは嬉しそうにこっちへ来いと言ってくる。




そんな光景を目にしていると次第に、



もしかしたら

自分は

世界の人達に夢を与えているのではないか、



そんな気分になるのだ。




 自転車を使って世界を目にし肌で感じているという人がいて、
 そんな人がたまたま自分のところまでやってきて目撃することができた。



そんな、ちょっとだけ夢をくばる「仕事」。

それが旅人なのかもな、

ふとそう思った。




非常に自分勝手な解釈なのだが、そんなことを考えながら自分をごまかしつつ、まあ自分の中で消化するだけならいいでしょ。



そんな風に
またこれからも走ってゆくのであった。




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