- 2024/11/21
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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毎度いろいろやらかしちゃう自分ですが、
今回も失敗談を書こうと思います。
それは月曜日のこと。
滞在期間を確認しようと、調べておいたイミグレーションオフィスへと向かいます。
日本大使館のほうが近そうなのでそちらにしようか迷ったのですが、終わる時間がイミグレのほうが1時間早かったので、そちらを先に攻めようという魂胆に出ました。
もしイミグレに辿り着けなかったら、大使館のほうへ行けばいいのです。
1時間以内で。
前日は夜更かししてしまい、気づいたら朝の8時。
少し寝とかなきゃいけないと思い、それからすぐに就寝。
目が覚めたのが11時。
よし、いい時間だ。
そろそろ起きよう。
そう思ってベッドの上でウダウダしていると、
そりゃあそうなりますよね。
2度寝です。
もう一度起きたのは昼の2時をまわっていました。
でもこれは想定内。
だってイミグレが閉まるのは4時だって言ってたもん。
急いで支度をし、自転車で出発。
イミグレーションに着くまでも道に迷ってはウロウロ、人に尋ねるとあらぬ方向を指差さしながらそのままノンストップでどっかに行ってしまった、なんてことがありつつ、丁寧に教えてくれる親切な人々にも巡り会えてようやくその場所に到着。
↑途中で見つけたカルメン教会。この日は中には入れなかった
↑装飾がとても細かい。折れたりしないのかな
↑本当のイミグレーションの場所
自転車を金網のところに立てかけ、いざ入ろうとしたとき、
警備員に呼び止められました。
ここは3時までだよ。
は?
いやいや違うでしょ。
4時まででしょ。
4時ってちゃんと聞いてきたんだからね。
どちらも意思疎通ができず、まわりをじゃんじゃん巻き込む警察官のおじさん。
警備室にいた男、ちょうどイミグレから出てきた中国人。
みんなの話から総合すると、整理番号を配られるのが3時までらしい。
だから今日はもう入れない、と。
しかもこの日は短パンをはいていたのですが、それが駄目だというのです。
意味がわかりません。
だって短パンのほうが武器とか危険物を隠しにくいでしょ?
なんでなのか聞いてみてもみんな知らないとしか言いません。
しかもジーンズはOKらしく、むしろ歓迎という雰囲気さえありました。
どういうことなの・・・
ちなみにサンダルもなぜか禁止らしいです。
これまた理由は不明。
ホテルを出る時になんだか嫌な予感がしてサンダルを履き替えてきたのでセーフだったのですが、さらにトラップがあるとは。
気持ちを切り替えてすぐに大使館に向かおうかそれともどうしようか。
悩んでいたらどうしていいのかわからなくなったので、もう少しここで粘ることにしました。
粘ると意外と何とかなるときもあるのです。
旅の経験というやつ。
でもなんともならないときもあるので、確率は50%くらい。
なんやかんや言いながらその場で留まっていると、イミグレからスタッフっぽい男がやってきました。
スタッフかと聞くと、違うけどヘルプをやっていると言うのですが、よく意味がわかりません。
彼は英語ができるので詳しい話を聞かせてくれました。
そしてこちらが困っているところを見ると、
ちょっと待ってて、いま頼みにいってくるから
と、中へ入って行きました。
戻ってくると同時に嬉しい報告が。
パスポートの確認だけだったら特別にOKだということになったそうです。
が、
やっぱり短パンの人は中に入れないとのこと。
だからなんで?
と聞くと、
さあわからない。頭がおかしいんじゃない?
と笑うヘルプの人。
うん、俺もそう思う。
自転車の荷物に長ズボンが入っていないのかと警備員に聞かれましたが、
残念、着るものは水着しか入ってないんですよ!
惜しかった!!
結局あと一歩のところで中には入れずじまい。
しかしペルプの人は「全員6ヶ月もらってるはずだよ、安心しなよ」
と言ってくれました。
今から大使館に行っても遅いので、落ち込みながらあまり利かないブレーキを駆使して帰りました。
帰りはくだり道。
このブレーキにも大分慣れてきたようで、そこそこスピードを出せるようになってきました。
行きは海沿いを通っていたのですが、帰りはさっきの教会を曲がり、パナマシティのど真ん中を通って帰ることにしました。
自転車では通りにくい露店街に入ったとき、スーパーの入口で発砲スチロールのコップに入った何かを売っているおばちゃんが目にとまりました。
朝から何も食べていなくて腹が減っていたのでそのコップが売られていくところを見つめていると、彼女がスペイン語でなにか言ってきました。
そしておばさんはスプーンを取り出し、鍋からそのドロッとしたなにかをすくって味見させてくれました。
見た目と臭いに反してなかなか悪くなかったので、一番安いのを購入。
上にチーズを乗せたものが上の写真です。
ペイサーダ・デ・マイセーナ とかいう名前だったかと思いますが、よく聞き取れなかったので間違えているかもしれません。
味は、リンゴのコンポートをすり潰して片栗粉かゼラチンかなにかでトロトロにしたような感じ。
砂糖の甘みが強く、かすかにシナモンのような香りもついています。
チーズはものすごく鼻につく臭いでしたが、食べてみるとクリーミーで癖が少なく食べやすいものでした。
都会の人ごみと車と下水の臭いにまみれてくたくたに疲れて帰宅。
オクタビオさんにも「疲れてるねぇ」と言われるほど今の自分はくたびれ感を演出しています。
彼ももう何日かでコロンビアに行ってしまいます。
部屋に戻ってベッドに倒れ込み。すぐにぐっすり
と思うでしょ?
この日も夜更かししてしまいました。
しかもアルコールを飲んだので、次の日は具合が悪くて大変でした。
謎のイミグレーションからトボトボと帰っている途中、道の端っこに人だかりができているのを見つけた。
↑ちなみに謎イミグレの地図はこれ
チャルメラをもっと大きくしたような固定式の店の裏手でなにかやっている。
他からは少し見えずらいところだ。
きれいなところではないが、スラムスラムしているわけでもない。
裕福地区ランクがもしあったとしたら、下から3番目、という感じだ。
金網越しの公園内に設置した台やテーブルを囲って賭博をやっているようだった。
ひとつはサイコロを振るゲーム、もうひとつはブラックジャックをしていた。
人が特に集まっているサイコロのゲームを覗いてみる。
しかしルールが全然わからない。
他の国でも同じゲームをしているのを見かけたので少しだけ見知っていたが、それでも具体的な部分はわからなかった。
とりあえずわかったことは、
・小さな2つのサイを振り、6,6/5,6/3,3の目が出れば勝ち。
・1,1/1,2/4,4が出たら負け。
・他の目が出たら隣の人に交代。
・基本は2人で振り合うのだが、1人でもいいらしい。
これくらいだ。
だが、たとえば
・勝ったときの配当はいくらなのか。掛け金の2倍になってるようなときもあるし、・かと思えば1.5〜1.8倍しかもらってないようにも見える。
・始める前に関係ない人に金を渡しているときもあるが、テーブル代を払う必要があるのか。
・親がいるのか、それとも対戦形式なのか。
・勝つと台に乗せた掛け金をどんどん増やしているが、それは強制なのか。
やってみたいとは思ったが、ルールがわからない上に掛け金5$〜のスタートだと言うのでやめた。
もしも勝ったとしても、理解していないので配当金をちょろまかされるかもしれない。
あと高い。
そこで、別のテーブルでやっているブラックジャックを試しにやってみることにした。
ルールは知っているルールと大体同じだった。
掛け金は50セント。
21を目指してカードをめくるゲームで、最初に2枚カードが配られる。
親は2枚のうち1枚をプレイヤーに見せ、17以上になるまでひかなくてはならない。
絵札はすべて10としてカウントし、Aは1か11の好きなほうを選べる。
ギリギリ25セントコインが2つ、財布のなかに残っていた。
小銭はこれっきりなので一発勝負だ。
それをテーブルに出してゲームスタート。
最初に配られた手札をみると、なんと21でブラックジャック!
賭け事運やクジ運はめっきりない自分だが、ときどきたまーにこういうビギナーズラックが発生する。
カードオープン時、親にブラックジャックを指し示すと1$札をくれた。
掛け金は50セントなので多いと言うと、ブラックジャックのときは2倍もらえるらしい。
これはついてると思い、もう一回。
手札は2と4。
親のカードは6の数字が見えている。
なぜか悔しがる親の人。
とりあえず1枚カードをもらうと、10だった。
16だとまだ微妙かと思い、もう一枚引く。
出た数は
・・・
・・・・・
10。
バーストしてしまった。
このときは知らなかったのだが、親が6の数字のときはカードを無理に引かずステイするのが一般的らしい。
ブラックジャックの知識があまりなかったので、勝てそうなところを外してしまった。
勝ち逃げしたいので「これ以上しない」とジェスチャーで伝える。
するとまわりの人たちもその動きにのってきて、
「ノーモァ!ノーモァ!」
とオーバーに言ってきて面白い。
彼らに近い服装をしているからだろうか、みんな愉快に話しかけてくれる。
ブラックジャックの勉強を少しして別日にもう一度行ってみると、この日は替わりにドミノをやっていた。
がっかり。
ドミノを端から見学する。
ドミノと花札と百人一首は祖父母の家で昔からよくやっていたのである程度やり方はわかっていたのだが、彼らがやっているのはそれとは少し違うようだ。
もっと単純化したものだった。
簡単に言うと、
____________
知っているルールは、
ドミノに書かれた数字を合わせていく。
出せるものがないと、出せるまで場からドミノを引く。
ゾロ目ドミノは横置きと縦置きができる。横置きは上下左右全部に置けるようになる。
最初にゾロ目を出すと、2つ先の人まで強制的に同じものを出さなくてはならない。
端の目の合計が5の倍数になったとき、その数ぶんだけコインをもらえる。
誰かの手札が無くなったら、他の人はその人に現在持っている手札の合計の5の倍数分のコインを渡す。
しかしここのルールでは、
ゾロ目は横置きのみ。しかし効果は縦置きと同じ。場所を取らないように横に置いているのだろうか。
合計数は関係なし。
出せないとパスになり、前に置いた人に50セント渡す。
終了時にどうなっているのかは早すぎてわからなかった。
知っているやり方では、数字を5の倍数にするよう計算しながら始めに上がりやすい親をいかに邪魔するかのゲームなのだが、
ここではとにかく場に出せる数字の可能性をできるだけ少なくしつつ自分が出せる数字を残しておくという場の支配が重要なようだ。
_____________
「1試合やってみるか?」
と聞いてくれたが、ルールが違うしスピードもかなり早いので見るだけにしておいた。
ドミノをテーブルに強く叩き付ける時の「カーン」という甲高い音が耳に痛い。
そそくさとその場を後にした。
結局ちょっとしか賭けなかったが、次もしチャンスがあればもう少し長くやってみたいと思っている。
これでほんの少しでも資金が楽になったらいいが、そううまくはいかないだろう。
それくらい自分は賭け事が下手なのだ。
まあ、楽しみくらいの気持ちでやるのはいいよね。
帰りに勝ったお金で勝利の美ソフトクリームを堪能する。
儲けた50セントはこうして一瞬で解けてなくなったのである。
ソフトだけにね!
これまでに
ロアさんがコロンビアへ出発したり、オクタビオさんが演奏の仕事を手に入れたりもうじきコロンビアへ行ってしまうことがわかったり、近くの港でどこかの酔っぱらいが船をぶつけて動けなくなったり…
と色々あった。
ルートに関しては、「フェリーを待って27日以降に南米入り」の方向で40%ほど決定している。
ただ心配事がいくつかあって。
まず滞在期間が本当に6ヶ月になっているか。
あとでなんだかんだあって金を払わないといけなくなったりペナルティが科せられたら嫌なので、念のため調べてなくてはならない。
それと、フェリーの自転車の積み料金が高かったらどうしようということ。
調べてみると犬ネコの料金は載っているのに自転車はない。
もし車両に含まれるのなら80$もしてしまうらしい…
これらのどれかに引っかかるのなら、ボートを使うことも考慮に入れよう。
せっかく「フェリーに一番乗りして誰よりも早くレビュー書いてやるぜー、ふぇーぃ!」とか思ってたのに、その期待は儚くも泡と消えるかもしれない。
なんにしても滞在が長くなりそうなので、ホステルの人に安くならないか交渉してみた。
が、交渉の余地無し。
笑いながら 無理だね(笑) と言って終了。
もっと安いところがないか見てみたが、これ以上安い所は見つからず。
まわりのホステルはドミトリーでも20$している。
これならカスコビエホ周辺ではなく中心部で探したほうが安くて良い所があるかもしれない。
ネットで『パナマ 安宿』を検索みると、一番安いホステルはZURY'S backpackers(ズーリーズバックパッカーズ)というところだと色んなブログで書かれている。
もっと調べてみると、そこは一度潰れて他のオーナーの所有物になったらしい。
名前もCasa Rica(カサリカ)という名前に変わり、値段も12.5$に値上がったと書かれている。
今もやっているのか、詳しい情報はわからない。
どうやら値段ではここ「ミアミホステル」に敵うものはないらしい。
良い宿を一発で引き当てる勘はいまだ健在のようだ。
そのうちホテルソムリエの称号を得られるかもしれない。
オクタビオさんに教えてもらった話に従い、海の隣のバルボア通り沿いを走りフェリーエクスプレスのオフィスを探す。
サイクリングロードがあるので自転車で走りやすいのはいいのだが、一向に見つかる気配がない。
↑途中で見つけた噴水の水は青かった
↑近くで見るとブルーハワイ
自転車の荷物を面倒くさがって下ろさなかったのが功を奏し、まわりの人がこちらに興味を持って声をかけてくれる。
その人たちに住所を見せてみるが、だーれも知らない。
「海鮮市場のあたりだと思うよ」
との情報が入ったので戻って探してみるが、やっぱりない。
ネットで探しに探した結果もっと奥にあるそうなのだが、それも小さなgoogleマップのかなり引きの絵でポチッと印があるだけ。
具体的な場所がわからない。
フェリーのオフィス探しに疲れたので、今度はイミグレーションを探しにいく。
日本大使館へ行こうと思ったが、今日は土曜日なので休みだと某ガイドブックに書かれていた。
イミグレーションのところには休日が書かれていなかったので、駄目元で行ってみる。
さすがに何度も来ているだけあって、道に迷わずに着くことができた。
ガイドブックに書かれていた場所には警察があり、言葉の通じない相手に苦労してイミグレーションの場所を聞いてみると、ここの横側にあると言って連れて行ってくれた。
扉は閉まっている。
が、ちょうどドアが開いて警官が出てきた。
前もって「滞在期間を知りたい」とスペイン語で調べておいたメモを読み上げるが、
相手がこれでもかと言うほどベラベラしゃべるので全然なに言ってるのかわからない。
とりあえず月曜日じゃないと開いていないということはわかった。
今度は別の人が出てきた。
この人は少しだけ英語が話せるようだ。
例のメモを見せると、
「ここは女性専用のイミグレーションだ」
などと意味の分からないことを供述しており・・・
なぜ男女を分ける必要があるのだろうか。
のちにアルビレオさんにこのことを話してみても、やっぱり意味が分からないという顔をしていた。
もっと詳しく問いつめてみると、
ここではなく univercidad tecnorojica という大学の隣のイミグレーションでなければいけないということをだったらしい。
とりあえず今日明日は無理そうなので、月曜日にまた街を彷徨うことになるだろう。
帰りに、青空の下で賭け事をしている場所があったので覗いて行ってみた。
そしてちょっとだけ参加してみるのだが・・・
つづく
☟ここからコメント返しのコーナー
ということで、今日はオクタビオさんに同行することになった。
夕方5時出発だと言うので、暇つぶしにネットをしていたらいつの間にか寝てしまった。
5時。
まだ眠い。
寝ぼけたまま外へ出る。
最初のパフォーマンス場所はフランス広場。
海やビルのパノラマビューが見渡せ、お土産屋の露店も出ているため、観光客が多い場所だ。
なるほど、こういう場所を選べばいいのね。
まわりにいたハンドメイドの加工品を売っている商人達と軽く会話を交わし、
演奏スタート。
堂々とアコーディオンを演奏する。
なかなかチップが入らない。
自分がこの場所で見ているからいけないのかもしれないと思い、オクタビオさんの後ろのベンチへ移動。
すると、帽子にチップを投げ込む人が次々と。
俺が邪魔だったんかい!!
なんでや!?
少し暗くなってきたころ、
小さな女の子がやってきてアコーディオンの曲に合わせてダンスを始めた。
彼女につられて足を止める人も増える。
1時間30分ほど経過。
結果、
今日はあまり稼げなかったようだが、女の子の可愛らしい踊りで満足した
とオクタビオさん。
ご満悦だ。
次の場所へと移動しながら、町の説明をしてくれた。
すぐそこに大統領が住んでいるという。
なんでスラムが多いこんなところに? と聞くと、この辺は金持ちがよく住んでいるらしい。
金持ちの家のすぐ隣に貧民層の家がある、それがここカスコビエホ。
金持ちも貧乏もごちゃまぜのミックスで住んでいるんだそうな。
博物館やきれいな劇場がある場所を教えてもらいながら、狙い目の公園に着いた。
皆の食事が終わる30分後くらいにここで演奏を始めるらしい。
しかし今いる反対側のところですでに演奏している人がいる。
こういうのは場所やタイミングの取り合いだから、戦いみたいなものだ
オクタビオさん談。
暇そうなこちらを気遣ってくれたのか、別のところへ移動することになった。
何ヶ所か見て回ったが、人が少ない。
少人数のところで演奏すると金を払わないといけないというプレッシャーを与えてしまうのでやらないようにしているらしい。
いつも行く商店街へとやってくる。
すると、同じホステルに泊まっているロアさんがたまたまこちらへ歩いているのを発見。
3人でカフェに入り、その中で演奏するオクタビオさんを客の振りをして見学することとなった。
カフェ内での稼ぎはまあまあだったらしい。
ホステルへの帰り道に女の子がアコーディオンに興味を持ち、弾いてほしいと頼まれていた。
↑楽しそうにスマートフォンで写真を撮ったり音楽を聞いたりしている女の子(右)とそれを写真に撮るロアさん(左)
結局、オクタビオさんの演奏と客がガンガンチップを入れる様子を見たり、ロアさんも色んな楽器ができて歌もうまかったりするのを目の当たりにして、なんだかとても惨めになったのだが、
その後あまり人が来ない海辺ちかくの階段(前回トップ写真の真ん中のあたり)でオカリナを吹いていたところ、
ペルー出身だという子連れの男性が演奏をとても褒めてくれた。
『コンドルは飛んでゆく』を吹いていたのを聞いたらしく、小さい頃にケーナで演奏したことを懐かしがっていた。
オカリナを褒めてくれたのはついでだったのかもしれないしわからないけれど、誰かの記憶を蘇らせたり感情を高ぶらせたりできたのだから、練習してきてよかったと思えた。
このお父さんに少し元気をもらった。