- 2024/11/22
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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あらすじ
田舎のキャビンホテルに泊まりました in パナマ。
食事処までは少し遠かったので、ホテルについているレストランで夕食。
ここのシェフの質問に「日本から来た」と答えると、
こんにちは と日本語の単語が返ってきた。
そして、ホテルのスタッフ相手に厨房で日本語講座が始まる。
ドウモアリガトウ、は間をあけずに急いでドウモアリガトウと言わないといけないんだよ
などという声がうっすら聞こえてくる。
料理を運んでくれたシェフがたどたどしい英語で
どこの国の人でも(どの言語を話す人でも?)いいけど、あなたの母国語が少しだけわかる人を見つけた方がいいんじゃないかな。
そうしたらイディオムがわかって少しずつでも言葉が話せるようになるから。
と言ってくれた。
そこの料理は本当においしかった。
値段も高いが、それに見合っている。
↑注文したメニューのうちの一つ、スパゲッティ。めっちゃうまい
次の日。
朝10時。
体が動かない。
そして非常に眠い。全然寝たりない。
風邪でずっと休んでいたせいで体が鈍っていた。
見ただけで衰えているのがわかるほどだったので覚悟はしていたが、これほどとは。
さすがにこの状態で先へ行くことは考えられず、もう一泊することにした。
いやー、まいっちゃうよねぇ。うふふふ。
ラスラハス、サンフェリと2つの村をまわったりしているうちに時間は過ぎた。
↑ラスラハスの中心部はこんな感じ。なんにもない
↑ラスラハスのカフェで食事。どこも水は無料なのが嬉しい
そうそう、ここでは2夜ともとても懐かしい人の夢を見た。
最初はメキシコシティで会ったバックパッカーの人だ。
一緒にルチャを見に行ったりした。
後日(このブログを書いている日)のことだが、その人のことがニカラグアで会ったチャリダーの小笠原さんのブログに載っていて、とても驚いた。
驚きすぎて夢に出てきた本人にメールを送ってしまったほどだ。
ちなみに小笠原さんのブログには自分のパソコンからはかき込めなかった。残念だ。
2回目は日本で空手を習っていたときの師匠、というか、何人かいた先生の中の一人だ。
とても尊敬していて、正直この人を目標にしている部分もあったりする。
人生のモデルとなる人に出会えるのはかなり幸運なことだと思う。
夢の中ではこの師匠がなぜか学校の先生をしていて、自分は他の組から見学と雑用をしにきたという設定だった。
すべて給食時間内でのできごとだ。
何か(この「何か」がなんなのかは謎)が上手くできると階級が書かれた勲章が与えられるなど、
先生の自衛隊の経験を生かしたクラス作りをしていたのが楽しそうで、自分も今のクラスではなくこのクラスになりたいと羨ましく思った。
が、夢の中なので自分のクラスなどというものは存在していない。
それを理解しつつ、なぜかこれが夢だと考えられなかった。
それどころか、先生はどうやって自衛隊と先生の両方をやっているんだろう、とさえ思っていた。
生徒達はみんな仲良くしてくれ、かわいい女子もいたりして、楽しい夢だった。
そういえばダビッドでは辛い夢ばかり見ていた。
誰かに追いかけられる夢や殺されそうになる夢。
これは泊まっていた宿に関係しているのだろうか。
そのときの宿は暗くて高い割にそこまできれいではなく、水漏れしていたりしていて不満があった。
それが夢として出てきたのだろうか。
3日目の朝。
空は明るく青空も少し見えているが、イワシ雲が広がっている。
天気予報士が見たら、今日は曇りだと言うだろう。
このあと雨が降るでしょう、とも言うかもしれない。
そんな天気だった。
が、青空が見えているので出発した。
ここにいつまでもいるわけにもいかない。
ここ最近は珍しく朝が早い。
2時間走った朝10:30には、前回のアメリカンチャリダー(ブログを確認したらアメリカ人だった)の二人が教えてくれたグアバラに着いた。
検問所を通って右に曲がる。
↑検問所をコッソリ撮ってみた。結果、コッソリすぎてよく見えない
↑TOLEのちょい左のところからSONAに向かい、SANTIAGOへと抜けるルート
ここからが本当にキツかった!
ちょっと今回は正直に書きますね。
いや、いつも正直なんですけど、今回はもっともっと。
心と気持ちに正直に書きます。
この道、確かにきれいなんですよ。
でもね、アップダウンがありすぎ!!
しかも最初は地味な道が続くし、店もなにもないし、こっちを選んだことを悔やんだ。
やっと出てきた湖と島も、天気が悪くて悪魔が出てきそうな見た目になってた。
通り雨に何度も降られた。
自転車も軽くパンクしてる。
本当に後悔した。
でね、Nata de tole(ナタデトレ)という町から、町といっても売店とバーが6軒ほどあるくらいなんですが、
ここら辺からやっと店とか家とかが増え出しまして。
水もなくなってきた時分、これで人心地がつきました。
ってか水汲んどけよって話なんですけどね。
↑天気がよくなってきたので撮った川と島
↑途中で出てくる家はこんな野性味あふれるものが多い
↑まわりは山だらけなのに、どこに船がつくのだろう
人は増えたけどね、でも道は全然変わらないの。
のぼったと思ったらおりて、おりたと思ったらそれ以上にまたのぼらされんの。
なにこれ地獄!!
変わったことといえばですね、景色がめっちゃくちゃきれいだったということです。
すごい。
天気が良くなったせいかもしれませんが、本当にきれいだった。
教えてくれたチャリダーの二人、
「こんな道よく教える気になったな!」
とか思ってて本当にごめん。
こっちきて良かった。
・・・良かった
のか?
道はいまだに龍の背のように上下を続けている。
Jorones(ホロネス)という村に着いてからまた家がなくなり、
体はボロボロ、時間も日暮れに近づいてきた。
だんだんこの道に腹が立ってくる。
どうしてこんなに辛い思いをさせらにゃいかんのだ。
ハイウェイより海に近いんだから、もっとなだらかにしろよ。
くだりの道が来てもイライラする。
どうせおりた分またのぼらされんだろ。
だったら下がるなや。
いっそ平均とってまっすぐにしろ!
怒りで脚を動かす。
しかしそれも長くはもたなかった。
もうくたくただった。
右手は変に痛いし脚も疲れてよれよれ。
肩も重くて腰がなんだかちくちくする。
「ちくちく」はなんなのかわからないが、とにかくもう限界だ。
いや、限界は超えていた。
限界を引きずったままずっと走っていた。
ここまで来ると怒りは湧かない。
なにも考えられない。
ただ足を一歩一歩進めるだけだった。
Sona(ソナ)という大きな街まで一気に行くのはさすがに無謀だった。
最初から届かないだろうとは思っていたので、適当な村でキャンプしようと思っていた。
しかしその”適当な村”がない。
辿り着けない。
ゆっくりでも足を進めるしかない。
↑顔を出した太陽の光が山の輪郭を浮かし出す
↑疲れているが眺めは非常にいい
やっとの思いで辿り着いたEl Maria(エルマリア)という小さな小さな村。
よかった。
これで夕食もありつける。
と、売店に行きました。
食べ物はない、と言われました。
いやいやいや、あるでしょうに。
なにかさぁ。
・・・なにもないそうで、ソナに行かないと食べられないらしいです。
絶望。
の一言だよね。
でもなんとかパン一個は売っていたので、それを買ってボケテで買っておいたピーナッツバターとイチゴジャムを付けて食べました。
ジャムがあるならパンも買っておけよ、と言われるかもしれません。
ごもっとも。
でもね、どこにも入らないの。
鞄がもうパンパンなの。
なんとか空腹、もとい飢餓状態を脱したのち、売店のおじさんにキャンプの許可をもらってテントを張りました。
寝床が見つかってよかった。
寝心地は良かったのですが、なぜか体中が虫にさされていました。
テントの中にダニでもいるのかな。
~~~~~~~
パナマの「おーい!」
パナマに入ってからなんですが、目の前の人を呼ぶときや軽い挨拶をするときに裏声を使う男性が多いです。
高い声で「アオー↑ォ」と呼ぶのです。
ちょっと変。
「声を抜く」とでもいいますか、よく歌手の中でも音の終わりにそういうテクニックを使う人がいるのですが、それに似ています。
今思いつく歌手をあげると、椎名林檎とかジェイソンムラーズとか…
長く伸ばせば遠吠えになりそうなその歌い方を昔練習してみたりもしたのですが、全然うまくできませんでした。
だからその呼び声をちょっと羨ましく感じています。
変だけど。
そのうち誰かに教えてもらおうと策略中。
ただスペイン語でなんと言えばいいのかわからないので、そこをどうするかですね。
ジェスチャーじゃあさすがに「その声の出し方を教えて」なんて伝えられないし。
ちなみに、メキシコからパナマに入る前までは、
歯笛のように甲高いシーシー音を出して相手を気づかせる人(男女両方)が多かったです。
やっぱりこれも変だけど。
~~~~~~~
朝7時。
何者かにテントをボスボス叩かれて目を覚ました。
オフィスを開けるから片付けろ
と言っていたように思う。
ガソリンスタンドに張ったテントをたたむ。
今回はエアーマットも寝袋も使っていなかったので、いつもより簡単かつ短時間で片すことができた。
これらを使うと、
1, マットは空気を抜き押しながら折り畳んでカバーに入れて買い物袋で何重にもし、
2, 寝袋も圧縮して小さくしながら丸め込み、このときうまい形にならないとやり直し(←心が折れる)、
そしてカバーに無理矢理詰めてこれまた買い物袋で何重にもかぶせる。
3, そして自転車の紐を一度ほどき荷物を載せて結び直して完了・・・
この行程がホントに手間で手間で、
いざ片付けよう!
という気すら起きない。
片付ける時間そのものよりも、この 片付けよう! までの時間がかかってしまうのが一番の問題だ。
その2つさえなければ、あとは服を着替えてポケットに普段使いの道具を入れ、そして床に残った荷物をザックにガッと詰め込めばテント内のものは全部なくなる。
その後テントをサササっと折り畳めばいいだけだ。
今度からできるだけこの「荷物を極力出さない DE キャンプ」作戦でいこうと心に決め、そのままその場を後にした。
↑朝早くに走るのは気持ちがいい。澄んだ空気で気分がスッキリする
颯爽と出てきたのはいいが、昨日の昼からろくにものを口にしていない。
腹が減った。
そのうちふらつき始めた。
この辺は町や店が少ない。
ガソリンスタンドで何か買ってくればよかった。
それなりの距離を頑張って走ると、目の前にスーパーが2つ現れた。
これはしめたと急いで店に入り、瓶ペプシとお菓子の軽食を買って食べる。
※前回、瓶は600ml弱と書きましたが、実際は350ちょっとでした。そんなに得じゃなかったぜ…
こういう小さなスーパーでは料理は売っていない。
たまに菓子パンが置かれているところもあるが、大体は調理前の食材や缶詰、それにお菓子やジュースなどが主だ。
日本のようにおにぎりや総菜パン、弁当やサラダ、スパゲッティといった調理済みの料理が手に入らないのだ。
腹減り具合が多少マシになったところで再スタート。
ここで少し進んだところにレストランを発見。
小さなお菓子数個じゃ食べ足りなかったので寄ることにした。
ほぼ同時に他の人たちが入ってくる。
男女2人で、まさに「私たち、サイクリストですよ」といったタイトな服にスパッツとヘルメット姿。
彼らは南米のアルゼンチンから来たと言っていたが、スタートがそこという意味であっておそらくアメリカ人かカナダ人だろう。
もしかしたらヨーロッパの人かもしれない。
英語が非常にしゃべり慣れていた発音だった。
常に笑顔でフワフワと話しかけてくる彼らは、自分と同時期にスタートしたという。
南米はすばらしく、そんなに危険もなかったと言っていた。
ただ一ヶ所を除いて。
それはペルーの北側の道らしい。
ノートにメモしようとすると、
「Piura > Trujillo (coast road)
not safe」
と書いてくれた。
この間は2人もバスを使ったらしい。
強盗が頻発しているそうだ。
そしてこの先ホテルはあまりないそうで、何個かホテルがある町の名前を教えてもらった。
このままパンアメリカンハイウェイ(今走っている道路)を行くより、ここから35km行ったところにあるGuabalaを右に曲がると、
少し遠くなるけどとってもきれいで車も少ないわよ
という情報もくれる。
お互いのメールアドレスとウェブサイトの交換をして写真を撮りあい、手を振った。
www.contoursofacountry.com
↑2人のブログ うまく開かないときは直接URLにつけてください。
なるほど、皆が通るこの道を外れて行くのもおもしろいかもしれない。
途中で大きめの町もあるみたいだし、そっちのルートで行くことに決定。
しかしこの日はその手前でストップする予定だ。
というのも、サンフェリにホテルがあるという話を昨日聞いていたからだ。
これはおそらく間違いはないと思う。
なぜなら、わからないのにわざわざその場から何十キロも離れた町の名前を出すわけがないからだ。
早くシャワーを浴びたい。
体がベトベトだし、ふくらはぎは虫に刺されて何ヶ所も膨らんできている。
ガソリンスタンドで休みながらやっとサンフェリに到着。
まだ昼だが、疲れたので今日はここまでとする。
本当の町の名前は”サンフェリクス”らしいが、どう聞いても”サンフェリ”にしか聞こえない。
右がLas Lajas(ラスラハス)で左がサンフェリと看板に書かれている。
どう見てもラスラハスの方にホテルがありそうだが、ここは一つ騙されたと思ってサンフェリに行ってみよう。
バス停やスーパーがある十字路を曲がり、坂をのぼると家がぽつぽつと流れてくる。
きれいな教会があるところで止まり、中を見学した。
↑黄色くてメルヘンな教会
↑壁画とステンドグラスがすてきだ
↑中は今工事中みたいだ
そこにいたおじさんたちにホテルの場所を聞いてみる。
ここにはない、と最初は答えたが、戻ったところにある病院のそばに1つあるらしい。
ここまで病院なんて見なかったがとりあえず行ってみよう。
念のため他の人にも聞いてみることにした。
するとやっぱり最初は悩んでから病院を右に…と言っていた。
この情報は正しいらしい。
病院がどこにあるのかはわからないが。
ちょうど隣がネット屋だったので、そこでブログの更新や調べものなどをした。
するとさっきホテルの場所を聞いた人がもう一度来て、もっと安いところを紹介すると言ってきた。
また隣の店へ戻ると、そこの店員の女性が1日なら10$で泊めてあげられるということを告げられる。
荷物をネット屋の主人に頼み、部屋を見せてもらいに行く。(←危険。真似しないように)
道路からずいぶんと逸れ、かなり中の方まで入って行った。
着いたのは普通の一軒家。
そこにくっつくように孤立した部屋があった。
ドアを開けると中はベッドが2つ、むき身の洋服掛けにはたくさんの洋服がかけられてあった。
生活感がむき出しだ。
トイレもあるし、今日はこの部屋を空けるからベッドもどちらでも使っていいわよ
と店員の女性。
なんだかちょっとだけ嫌な予感がしたので、他も見てみるということでその場を離れた。
多分大丈夫だったのだろう。
何も心配する必要はなく、ここで安値で泊まることは可能だったはずだ。
しかし、以前人の家に泊まらせてもらってひどい目を見ているので、警戒しないわけにはいかなかった。
ネット屋へ戻ってこの辺のホテルの場所を探した。
やはりサンフェリにはホテルはなく、あるのは隣のラスラハスだったようだ。
騙された。
世間に。
道を戻って十字路を横切り、ラスラハスへ。
適当なホテルへチェックイン。
値段は20$と高めだったが、値段はこの際どうでもいい。
ゆっくり休みたかった。
1泊だけだし。
部屋それぞれが小屋として独立しているキャビン式で、かなりきれいな部屋だった。
さすが、高いだけある。
ここならばいい夢が見られそうだ。
☟拍手コメントの返答☟
ダビッド入口で休養している2泊の間に、前に立ちよったアイスクリームショップを訪ねてみた。
何とかジュエルと名前だったと思う。
店の近くに見覚えのある背の高いマクドナルドの看板があったのですぐに発見できた。
どうせ覚えてないだろうと初見さんを演じて入って行ったのだが、
黒髪で黒い服に身を包んだ店員 ― まるでアメリカの三昔ほど前に見られたポマード髪でロックが似合う若者を連想させる風体のその店員は、こちらのことを覚えてくれていたようだ。
ここに来たのは1週間以上前になる。
一度だけちらとアイスやホットドッグを食べて帰った客など覚えているとは思ってもみなかったので、
驚いたし、少し嬉しかった。
↑ヨーグルトとチョコとマンゴーのソフトにフルーツなどをトッピング
ある程度町をまわって地理を掴んだが、このとき若干熱が出ていたため、あまり観光はせずにホテルで安静にしていた。
テレビのドラマや映画、アニメがなかなかおもしろかった。
3日目の朝、目が覚めた。
外が大雨なのは音だけでわかる。
これはもう1泊かな、そうなればもっと安い宿に移動しなければ、
と考えていると、昼前には止んで快晴になってしまった。
一旦躊躇したものの、今行かなければここを離れられないような感覚があって怖かったので、思い切って出発することにした。
久しぶりに青空が広がっていた。
あたりは緑がでいっぱいだ。
緑しか見えない。
他になにもない。
そう、町や村が全然ないのだ。
ここパナマはもっと栄えているところかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
むしろ今までで一番貧相かもしれない。
しかし治安が悪いようにも見えない。
一体どうなっているんだろう、ここは。
久しぶりに出てきたレストランで食事をし、隣の売店でニカラグア以来の瓶のコーラを買う。
コスタリカに入って一切見なくなってしまった瓶のジュースがまた復活してくれたのだ。
うれしい。
いやコスタリカにも安めの1ℓの瓶はあったが、一人では多すぎるのだ。
瓶もすぐに店に返さないと瓶代が取られてしまって不便だし。
復興してくれた600㎖弱の瓶コーラは0.45$。
対して600㎖ペットのコーラは0.90$だ。
これは大きい。
※追記 よく見たら瓶は350mlちょっとだった。騙されましたわー
空気でパンパンになったビニール袋に入った水はここにもなかったが、水道の水が飲めるということなので良しとする。
↑瓶のジュースは安い。これは別日に撮ったものなのでペプシ
瓶コーラを飲みながら地図を眺めていると、目の端に自転車がうつり込んだ。
自転車バッグが引っ掛けられ、その上にタイヤとチューブがのっかっている。
これはチャリダーの自転車だ。
背が高く細身の男性が売店でなにか話し込んでいた。
言葉も通じないだろうし何を話していいかもわからないので、挨拶もせずにそのまま先へと進む。
いくらか走ったところで振り向くと、さっきのチャリダーが一緒の方向に走っているのが見え、笑顔がこぼれてしまう。
すぐに追いつかれる。
道をあけてあげ、雄叫びのような挨拶をしあってそのまま走り去った。
楽しい。
予定よりもずいぶん先に来てしまったが、町という町がない。
地図に載っていた町の名前はすべてごく小さな家の塊でしかなかったようだ。
大きめの十字路に着き、さてどっちへ行こうかと悩むためにバス停へ。
するとすぐさま雷雨が辺りを包み込んだ。
雨が止むまで待つ。
人が来てはバスに乗り込み、少し経つとまた人が来る。
こちらに話しかけてくる人もいる。
誰もいないときを狙ってオカリナの練習をした。
さっきのチャリダーはどうしているだろうか、と案じたりもした。
日もだいぶ暮れかけてきたころ、雨がようやく小降りになってきた。
今がチャンス。
そしてここからいくつもの情報に惑わされ、暗くなるまで右往左往することになる。
バス停に来た人たちの話をまとめると、
この辺にはホテルはなく、ホテルに泊まりたいならずっと南の海沿いにあるBoca Chica(ボカチカ)という町か、東にずっと行った所にあるSan Felix(サンフェリ)に行かなくてはならないらしい。
一番近いところでBoca del Monte(ボカデルモンテ)という村が北側にあるので、そこでキャンプしたらどうか、と言う女性からはお菓子をもらった。
ボカデルモンテには数分で着いたが、それでもあたりは一気に暗くなってきていた。
ガラス張りのきれいな売店があるところで、念のためもう一度ホテルがないか聞いてみた。
今回はhotelという言葉を使わずにhospedaje(宿泊施設)という言葉を使ってみる。
残念ながらないね、という人々の中に、
この村の反対側に位置するHorconcitos(オルコンシートス)の町に2軒あるとの情報をゲット。
弱っている体のため、できればテント泊はしたくない。
暗くはなってきているが一縷の望みをかけて今来た道を舞い戻り、オルコンシートスに向かった。
町の入り口あたりだろうか、小さな警察署があったのでホテルが本当にあるかどうか聞いてみる。
が、この警官が鼻持ちならないヤツで、お互い喧嘩腰になりつつのやりとりになった。
この横柄な警官は「ない」と言ったが、こんなのの話を聞く気にはなれなかったので、まわりの人たちにも聞いてみた。
しかし皆、ないと思うという返答しかなかった。
探せばあるのかもしれないが、そのためには暗くなりすぎている。
ここは引き返したほうがいいかもしれない。
東に少し行ったSan Lorenzo(サンロレンソ、町の名前いっぱい出して申し訳ない)に大きなガソリンスタンドがあるからそこで泊まれるかも、
という話が出た。
さっきのボカデルモンテの売店でもサンロレンソで宿があると聞かされていたので、
ダメでもともと、行ってみることにした。
またまたバス停のある十字路まで戻り、今度は東へ。
あたりは真っ暗だったが道路がきれいに整備されていたのと下りが続いていたのとでスムーズに進むことができた。
雨は少し強くなってきている。
大きなガソリンスタンドでは大音量の音楽が流れている。
スーパーと小さな軽食屋が繋がっていた。
屋根のある給油場のエリアに入り、そこのスタッフにホテルはあるか聞いてみる。
ここは小さすぎてそんなのないよ。ここで一晩過ごして明日の朝出発したらいいんじゃない。
と何も言わずともここでのキャンプを許可してくれた。
ありがたい。
オフィスの入り口付近にテントを張る。
片付けが面倒なので、エアークッションは敷かずにそのまま寝ることにした。
下が石床なので体が痛いが、寝れないことはない。
そこのスーパーで買ったジュースを飲み、バス停でもらったお菓子を夕食にした。
流れるラジオと激しい光源と、ときおり来るトラックの音が、逆に人災が来ない安心感となり、素直に眠ることができた。
もちろん体が痛くて目が覚めることは度々あったのだけど。
↓拍手コメントの返答↓
症状はあまり変わらないが、とりあえず熱は下がったようだ。
次に天気と体調が良ければ、そろそろここを出ようと思っていた矢先、
同じホテルに2名の日本人がやってきた。
男女二人組。
話を聞くと、南米から北へのぼっている途中で彼らは出会ったらしい。
基本バスで移動しているという2人だが、男性のほうが今年で日本に帰らないといけないということだった。
全然知らない同士でこんなに長く一緒に旅行するというのは、不思議だ。
自分は人と一緒にいることが苦手なので、自然に誰か知らない人とずっと一緒にいる状況になる、ということが不自然に感じてしまうのだ。
そしてそれが神業かというほどの途方もない技術のように見えてしまう。
これからも自分はきっとずっとこうやって一人なんだろうとな、と話を聞きながら考えていた。
南米で素晴らしかったのはブラジルのレンソイスというところだと2人は言う。
イモトアヤコの本に写真が載っていたのが行く決め手になったらしい。
ブラジルには行く気がなかったが、話を聞いて行ってみたくなってきた。
ただ、ブラジルはビザが必要なのと、湿地帯やジャングルが多いのが心配だ。
それに物価も高いらしい。
しかもそのレンソイスというのは、広いブラジルの中でもずっと北東の端っこに位置している。
どう行くか、行けるのか、しっかり考えなくてはいけない。
2人が来た次の日、1週間以上も滞在してしまったボケテを出ることになった。
ほとんど寝ていたので、せっかくだからと去り際に写真を撮っていたところ、イスラエル人男性に話しかけられた。
ホステルで噂は聞いていたと言われたが、この人は同じホステルにいたのか、どうして知っているのか、別のホステルと間違えているのではないのか、
話の流れが全然掴めない。
状況がうまく飲み込めず、英語でのやりとりでも全然会話になっていなかった。
なんだか悔しい。
↑ボケテの町↓
↑ボケテは盆地にあるので、ちょっと離れたほうが景色がきれいだ
ボケテの入り口にあるインフォメーションセンターまでは上り坂だが、そこからはひたすらくだり道で戻ることができる。
↑右、インフォメーションセンター
とても楽だ。
風邪と長い休養で体が弱り切っているこの状況下でのスタートには最も都合がよかった。
景色もよく、体に気を使いつつのんびり山や花を眺めながら走った。
↑途中ドレーガの町で休憩。閑静なところだが、静かで落ち着く
ほとんどペダルをこがずにダビッドの町に戻る。
結局温泉がどこにあるのかわからず仕舞いだった。
もっと進むつもりでいたのだが、頭が痛くなってきたので今日はここで終わりにする。
前に泊まっためちゃ安い宿に行こうかとも思ったが、ここは主要道路に近いホテルに泊まることにした。
面倒だったからである。
それに街中へ入るより、道路に近いところからのほうが出発が楽だ。
近くに立派なスーパーも2軒あることだし、ネットは繋がらないがまあいいだろう。
と、気を緩め夜にサングリアを飲み過ぎたために、次の日二日酔いで出発できなかった。
2泊するなら安い方に泊まっておけばよかった!
後悔先に立たず。