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となりの国

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タバスコの町の辛い料理

キャンプ地から20kmほど先の、タバスコ という町に着いた。

疲れているので、ここで少しゆっくりしようと思う。

小さな町を想像していたが、意外に大きく道路もきちんと整備されている。


到着と同時に人だかりにぶつかる。

パレードをやっているようだ。

前に話で出ていたミサのイベントが、こちらでも行われている。

どうやら全域でのイベントだったらしい。

子ども達が聖者の恰好をして、車の荷台で身動きせずじっとしていた。

電気機器店のおじさんにホテルはないか尋ねる。

すぐ近くにあるらしいので、そちらへ。

値段は150ペソと安かったので、2泊することにした。

値段の割になかなかいい部屋だ。

中央広場へ行き、フルーツを頼む。

かかっていたサラサラの白いシロップはヨーグルトかと思っていたが、どうやら違うようだ。

練乳を牛乳で少し溶いたような、甘い味がした。

夜、ゴキブリが出て素足で踏んでしまった。

割と平気だった。

北海道出身でゴキブリにはあまり免疫がないが、抵抗感はあまりないようだ。

次の日はゆっくり街をまわる。
栄えているというほどではないが、町の範囲は広く人の賑わいがあり、店もある程度そろっている。

昼にカフェと書かれた安食堂でコーヒーとトルタというバゲットサンドイッチを食べる。

コーヒーはインスタントの粉ごと出てきたが、メキシコではたまにあることだ。

この街の料理はおいしい。昨日食べたトルタとタコスもとてもおいしかった。

ただこの日の夜に食べたコミーダコリーダ(定食)はとても辛かった。

胃がムカムカする。

もともと辛い物は苦手なので、すぐに腹にきてしまうのだ。

その店のおじさんと少しコミュニケーションをとることができた。

おじさんは大げさなジェスチャーを使って話してくれたので、わかりやすかった。

ゲームの実機とテレビが置いてあるゲーム屋が数件あったので、やってみようか迷ったが、迷っているうちに店が閉まってしまった。
少し後悔。

町からの出口を探してから、ホテルへ戻る。

色々探ってみたが、どうやらアンティークの家具が虫のすみかになっているようだった。

その点以外は値段も設備もいい素敵なホテルだ。


    ↑実にからそうだ




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「ルミ子 ってどういう意味?」

サカテカスを出て南、グアダラハラに到達する広い道路に沿って走った。

途中にあった露店でココジュースを頼み、サカテカスで買った量り売りのチョコを食べていたら、隣の露天商達が話しかけてきた。

「どこから来た」「どこへ行く」から始まる、いつもの質問だ。

ここらでちょっくら情報を仕入れようと、こちらも「次の町までどのくらいだ」「太平洋側のゲレーロ州は危ないのか」という質問をぶつけてみた。

次の町まで車で30分ほどらしい。

自転車ではだいたい2、3時間といったところだろう。

ゲレーロ州はちょっと危険、それほどでもないけど、ちょっと、自転車で走るならわからん、という回答だった。

サカテカスで仲良くなった人に聞いたときは かなり危ない、銃をバンバン撃ってる ということだった。

もっと前に他で聞いた時にも ちょっとだけ危ないかも と言っていたので、太平洋側を走る計画は考え直した方がいいのかもしれない。

日本人旅行者は 全然そんなことない、平和でゆったりしていた と言ってたが、バスで来て少しいただけなのであまり信用はできないだろう。

次の町、Villanueva(ビジャヌエバ)で150ペソのホテルを見つけ泊まる。

自転車のギアチェンジが壊れたので町の自転車屋で交換してもらった。

この日もタイヤがパンクしたので、今回は新しいチューブに交換してみた。

外で花火がバンバン鳴っているので何事かと聞いたところ、

ここ数日はミサがあるとかなんとかで色々あるらしい。

スペイン語だったのでわからないが、なるほどそれっぽいカレンダーが至る所に張ってあった。

12月7日

方角を少し変え、荒野の山の中を走った。

ずっと上りで汗だくになり、かと思えば急な下りになって帽子が飛ばされそうになる。
途中の山道にて車が故障かなにかで止まっていたが、こちらはどうすることもできない。

    ↑森と荒野の境界線

あと数十キロで次の町というところで夕闇がきてしまい、しかもタイヤもパンクしたので、ちょうどあったガソリンスタンドの裏手にキャンプさせてもらうことになった。

そのガソリンスタンドを経営している家族と少し話ができてなかなか楽しかった。

お母さんに、「ルミ子」ってどういう意味があるの? と聞かれたが、ちょっとわからない。

留璃子だったらまだわかるのだが。

というか、なぜルミ子なのだろう。

他の日本人にそういう名前をつけられたのだろうか。

たしかにそのお母さんは見た目「ルミ子」という印象の顔立ちであった。

海外に出ると、よく名前の由来や意味を聞かれるのだが、かなりの難題だ。

占いで決めた、と言いたくてもその「占い」という単語がわからず、調べて見せても相手はピンと来ない様子だ。

こちらには画数なんてないから当然わからないだろう。

占い自体もあまり浸透していないのだろうか。

星座占いなんてのも、今のところ見たことがない。

ルミ子の由来はわからない
と伝えると、

あなた本当は日本人じゃないでしょww

とジョークを飛ばされた。
たしかに、よく中国人に勘違いされる。
なぜか日本人からもたまに間違われるくらいだ。
なんでだろ?
自分としては何人でもいいんですけどね。

久しぶりのテントを張って横になった。

ガソリンスタンドのため、夜中でも度々車が来て人が降りてくる。

周りには犬がいて、うろつき回っている。

結果、襲われるのが心配であまり眠ることができなかった。




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坂の町 サカテカス は寒い。

70km先のサカテカス zacatecas へ向け自転車を走らせる。

とその前に腹ごしらえ。

数百m先の店で食事。そこに蛙のトリオの手作り感たっぷりな置物があった。

腹が多少ふくれたところでcuotaを走る。

昨日聞いた通り、サカテカスは標高が高いようだ。

2500mくらいあるらしい。

ずっと上り坂が続き、息が切れる。

きれいな景色があったので、そこで休憩がてらオカリナの練習をした。

空気が薄いせいで息が続かなかった。

手持ちの水をかなり消費し、やっとの思いでcuotaを抜け出した。

コンビニでコーヒーフラッペと飲み物をたくさん買い、休憩する。

サカテカスについたのは5時過ぎになってしまった。

すでに暗くなって来ている。



某有名ガイドブックに載っていたホステルを探すが見つからず、

急な坂と夜になっていくことへの焦りでその場所を探すのを諦め、たまたまぶつかったホステルへ。

とてつもなくボロかったが、ドミトリー100ペソで他に人もいないのでここがとてもここが気に入った。

オーナーから、今日は寒くなるからもうひとつのベッドから毛布取っていいと言われる。

その部屋には2段ベッド1つしかないのだ。

カナダのプリンスジョージを思い出した。

たしかにその日の夜は、ここに滞在した日の中で一番寒かった。

次の日、鼻風邪を引いてしまった。



朝からサカテカスを歩き回る。

セントロから少し離れたところに小さな教会があった。
隣は小学校のようで、たくさんの親子が教会の周りで買い物をしていた。



教会の中はステンドグラスでいっぱいで光があふれとてもきれいだ。







まだ12月初めだが、街はすでにクリスマスムードが漂っている。




    ↑カフェ内にいたサンタ の人形。


カテドラルのそばにおいしいフラペチーノをおいているカフェがあった。

この看板が目印。



ずっとドッグタグのネックレスを探していたので、シルバーアクセサリー屋で聞いてみた。
店にはないが次の日の昼までには作れるとのこと。
ただ、600ペソと高かったのとおっさんの態度が少し嫌だったのでやめた。



風邪を治すという名目のもと、ここで5泊してしまった。
それは泊まったホステルの居心地がよかったのもあるのだけど、そこで幾人と仲良くなった。

4日目には政府で働いているという男性。
特権として公衆電話がタダで使えるらしい。
彼に安い店を教えてもらい、色々おごってもらった。

ラストの日には、アメリカで働き、その後半年間南米と中米をバスで旅行しているという中年の女性が同室に入って来た。
彼女は自転車で旅がしたいとずっと思っていたらしく、また日本語に飢えていたためひたすらしゃべっていた。


そんな感じでその女性とホステルのオーナーに見送られながらサカテカスを出て行った。

サカテカスは静かな街だと聞いていたが、実際はそうでもなかった。
祭り騒ぎもある高級ブティック街という感じだった。

あまり大きくもないためか、自転車のパーツは手に入らなかった。



そうそう、
大学教授の家へは結局行かなかった。
電話で話すにもスペイン語ができないので意思疎通ができないし、相手がひどく酔っていたため忘れているかもしれないと思ったからだ。

人付き合いが苦手な人というのは、こういうところでつまずくのだ。
覚えておいてほしい。






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タダ飯食らいと情報収集にピッタリの日

サンフランシスコ・デ・ロス・ロモを出てハイウェイ45に戻り北上する。

このまま行くとcuota(有料道路)に入ってしまうので、途中で右へ方向転換、

隣に沿って走っているlibre(無料道路)を進むことにした。

libre道路へ行く途中に町があり、そこで地図を見ているとおじさんが話しかけて来た。

だいたいの道を教えてもらい、少し立ち話。

どうやらこっちでは日産が有名らしい。

おじさんの友達に紹介されたが、話題がないため無言ですぐに別れた。

おそらくおじさんは自慢したかったんだと思う。

教えてもらった道を左に曲がり北へ自転車を向けた。

警察がパトカーの中で道路を見張っているが、大丈夫、何も悪いことはしていないはずだ。

この道路を走っているとしょっちゅうクラクションを鳴らされる。

他でもたまに鳴らされるが、時々でしかない。

応援してくれていると思うことにしよう。

しばらく行った先にカフェがあったので、遅い昼食をとるため入店する。

アメリカンな雰囲気そのままに、コーヒーはメキシコで1番うまかった。

それとサンドイッチを注文する。

店の主人が英語で話を振ってきた。

ちょうどいい、情報をもらおう。

この先のLuis Moya(ルイスモジャ)とOjocaliente(オホカリエンテ)という町には悪いやつがいるから危険だよ

と教えてくれた。
警察をよく見かけたのはそのためだったのか。
クラクションももしかしたら注意喚起とこちらを見てくれてるという周りへの警戒だったのかもしれない。

オススメのルートは、さっき通っていた45号線を北上するルートだと言う。

でもcuotaがあるよ

と言うと、大声で笑い出し、

自転車で金を取られたってのは聞いたことがないなぁ

と楽しそうにカタコトの英語で話す。

その様はまさに「はじけるような笑い」で、その笑い方を初めてみた自分はとてもいい印象をもった。

大口を開けて大胆に笑っているその風体は陽気に見えて、なんだかうらやましかった。

言われた通り田舎道を抜け、ハイウェイに戻って来た。

日も暮れかけてきてタイヤもパンクしたので、そのすぐそばにあったCosioの町で1泊することにした。

そこの小さなホテルのオーナーは気さくな人で、値段も安い。

3階の部屋は眺めがいい。

それにしても自転車が心配だ。

1日に1回はパンクしている。

これはタイヤの外側の部分(未だに名前わからず、スペイン語だとallantaとか言ってた気がする)ごと取り替えないとダメだ。

でもエニグマ君(マイ自転車)にピッタリのサイズがどこにもない。

なんとかサカテカスまでもってほしい。

夕食を食べにホテル1階のレストランへ行くと、チキンライスのようなご飯を何杯もおかわりさせてくれた。

さすがに4杯目のときは呆れた顔をしていたが。

食べ終わったあたりで、隣のテーブルからおじいさんがビールをおごってくれるという誘いをうけた。
承諾する。

オーナーも一緒にビールを飲み、テキーラ数杯をもらった。

このおじいさんはここのホテルのボスで、これから向かうサカテカスの大学教授らしい。

むこうはスペイン語とフランス語、こちらは日本語と英語、なかなか噛み合ない。

7年間アメリカで料理人をしていたというオーナーの通訳を交え、なかなか進まない会話が始まった。

教授の息子が最近数学の大会で3位を取ったらしく、自慢しながら

お前は頭がいいのか?

と、ベロンベロンになりながら聞かれたが答えようがなかった。

頭がいいというのは色んな意味があるけど…

などという言葉を日本語以外で話せない。

教授は

ここはお前の家だし、私の家もお前の家だ。サカテカスに来たら私の家に案内しよう。友達になろう。

と、たどたどしい英語で何度も何度も言ってくれた。

ここはお前の家だから、と料理や酒をすべてタダにしてくれた。

ラッキーだ。

教授の家族がむかえに来て、パソコンの通訳サイトで奥さんと会話し、教授の電話番号を教えてもらう。

パソコン翻訳には教授は否定的だった。

なんとなく気持ちはわかる。

その日はいい気分で眠りについた。




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