- 2024/11/23
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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朝ご飯を食べたレストランでもこれまた人にお世話(ご馳走)になりながら先へと進む。
おごってくれた本人ですら「コロンビア人は親切だからな」と言うくらいだから、本当に親切なんだろう、親切を心がけているのだろうと思った。
ありがたいこってす。
昨日はキャンプだったため体の疲れが抜けきれていないが、20kmもいかないくらいで都市Pereira(ペレイラ)に到着。
聞いた話ではもっと遠いはずだったので拍子抜けだ。
走るのを終了するには時間がまだまだ早いのでここはスルー。
本音を言うとぜひとも立ちよっていきたいのだが、しかし先を急がなくてはいけない。
脇道を通り、ペレイラに入らない道からCartago(カルタゴ)の町を目指す。
↑目の前に町があるのに入らないチャリダーの鏡
町を外れてすぐ、軽いのぼりにしてやられ、休憩ついでにオカリナを吹く。
すると唐突の雨。
オカリナを吹いたせいだろうか。
実は中米あたりから感じていたことなのだが、
オカリナを吹くと近いうちに天気が変わる
というジンクスが自分の中でできあがっている。
近いうちといっても2時間以内という結構広い範囲。
確率は80%くらい。
ジンクスにしてはそんなに確率が高いわけでもないので多分気のせいなのだが、
雨が降ったときには気慰みにオカリナを吹き、てるてる坊主的な使い方をしている。
少しだけ引き返し、雨よけのためコンビニ風のカフェへ立ち寄る。
wi-fi環境があったためしばらくここでネットを使い、休憩。
お値段高めのカフェオレを頼んでみると、泡立ちがよくかき混ぜストローが立つほどだった。
おいしい。
香り高い。
一時間後、
雨もあがったので再スタート。
とても快調に走る。
さっきまでのヘタレが嘘のようだ。
標高がかなり落ちたと見え、じっとしていても汗ばむ陽気になっている。
暑い中で自転車をこぐのはそんなに好きではないが、一生懸命先へタイヤを進める。
そんな晴天の昼下がり、大変なことに気がついてしまった
なんと、
道 を 間 違 え て い た の だ 。
人の話によると、同じ道を戻らないといけないらしい。
そんなばかな・・・
ああ、きっとあそこだろう。
パイナップル売りや土産、食堂の掘建て小屋で賑わっているところで道なりに右へと曲がった。
あれが原因と見た。
高架橋があってまっすぐ進む道が視界に入らなかったんじゃないか。
こんなに大々的に道を間違えるなんてとても久しぶりだ。
メキシコでものすごい田舎道に迷い込んだ日以来ではないか。
そのときでさえ、遠回りではあったがまっすぐに進めば正しい道に出られた。
後戻りしなくてはならないのはこれが初。
なんとまあ。
新記録樹立。
時刻は4時近くになっている。
今日はCartago(カルタゴ)で泊まる予定だった。
頑張れば行けないことはないが、おそらく真っ暗になるはずである。
あまり危険は冒したくないので、今日は諦めてここに泊まることにした。
宿は非常に安く、15000ペソ(750円弱)くらい。
だったと思う。
メタなことを言うと、この内容は現在これを書いている2週間ほど前のことなのだ。
ええと、ちょっとわかりにくかったかな。
つまり2週間後にこの日記を書いている。
なのであまりはっきりと思い出せない。
近くのレストランも腹一杯食べられて4000ペソ(だった気がする)と安かった。
財布に優しい。
狭い部屋のなかで、熱帯夜を蚊に刺されながらすごした。
マニサーレスの気に入っている教会がある公園で路上パフォーマンスをする。
オカリナは音が響いてうるさく感じる場合があるので近くの人達に許可を求めるが,
一生懸命説明しても誰一人通じていない様子だ。
しょうがないので許可をとるのは諦める。
たぶんもめ事は起こらないだろう。
いざ吹いてみると、許可を求めに話しかけたその中の一人が「ブラボー!」とはやし立ててくれて嬉しかった。
吹いて早々500ペソを帽子の中に入れてくれる。
ここは人通りもまばらだし期待していなかったのだが、これは結構いけるんじゃないか。
そう思って吹き続けていると、おじさんが一人、こちらへ歩みよって来た。
30分くらい立ち話をしただろうか。
200ペソ置いていってくれたのは嬉しいが、その後あたりには人がいなくなり、演奏の調子も悪く失敗ばかりになってしまったのでここでお開き。
合計700ペソ也! 円換算で35円!!!!!!!
まあ、もらえただけありがたいのでよしとしますよ。
ええ、ええ、喜ばしいことです。
朝食を採ってから町を出る。
ずっと下りで楽に早く進むことができた。
マニサレスは高い山の上に存在していたようだ。
20kmを1時間かからずに進む。
その坂はChinchina(チンチナ)という村までしか続いておらず、そこからはアップダウンが続くイヤラシイ道となった。
オカリナ演奏時のおじさんにもこの道の状況は聞いていたので、苦しい道に入っても気分はそんなに落ち込んでいない。
「あーやっぱりか」程度ですんだ。
やはり先の情報を手に入れることは大事なのかもしれない。
ただし今回のマニサレスの宿のように、下調べしたせいで残念な結果になることもあるので、いつでもそうだとは言えないのが難しいところ。
テンションを維持できたのは情報があったからだけではない。
今までの厳しい山道に比べたら、こんなのはかわいいものだ。
チンチナの路上でジュースを売っていたので1杯買う。
チョンタドゥーロのジュースらしい。
チョンタドゥーロというと、匂いがさつまいもに似ていて味が栗にそっくりのあの実だ。
そのジュースというので、とっても嫌な予感がしていた。
これ絶対生臭いだろう、と。
飲んでみるとそのような臭みは全然なく、甘くておいしい。
若干アルコールのような渋みがあるが、気になるほどではない。
飲んでいる間、ジュース売りのおじさんとおしゃべり。
9ヶ月前にもここに日本人チャリダーがやってきて、ジュースを買っていったらしい。
9ヶ月前…
知っている人だろうか。
しかし知っている日本人チャリダーなんて数人しかいないので、きっと知らない人だろうなぁ。
なぜか自分は海外では日本人に会いづらい体質らしい。
他のチャリダーたちからはもっと「誰々と会ったことがある。何度も同じ人と会う」などという話も聞いたことがあるが、自分は全然だ。
チャリダーのコミュニティもどこかにあるらしいが、それもよく知らず。
一人孤独な一匹狼を演じている。
なぜこんなに会わないかというと、おそらく走る時間が短く距離もそんなに伸びないためと、走るルートがマニアックなためだろう。
日本人旅行者に会ったところでなにを話していいかわからないので、別に気にしてはいない。
自分は天性の一人好きらしい。
その先の村にあったガソリンスタンドでキャンプ交渉。
即答でyesと言ってくれた上にキャンプの場所まで作ってくれた。
↑裏の物置を貸してくれた。面倒だったのでテントと寝袋はなし
↑吹き抜けの窓。それでも暑い
その近くのレストランで料金交渉して7000ペソ(350円)から5000ペソ(250円)まで値下げしてもらうことに成功。
店員たちはとてもいい人だった。
〜〜〜〜
ここで魔法の言葉を紹介しよう。
ホテルやレストランで紹介してくれた部屋や商品が高かったときに、
Tienes mas económico?(ティエネス マス エコノミコ)「もっと安いのないの?」
これですわ。
こう言うことにより、ちょっとランクの下がったものを提示してくれたり値下げしてくれたりしてくれることがたまにあるのだ。
ただし、この言葉は紹介されたものそのものの下ランクを聞いているだけらしく、もっと安い商品があったとしてもこの言葉では「ない」で片付けられてしまうこともあるので注意。
〜〜〜〜
料理を注文すると、そこのフロアマスター的な人がこちらの事情をまわりに話してくれて、話を聞いた人達から2000ペソずつ、計4000ペソ(200円)もらってしまった。
これ、朝にオカリナ吹いたより全然儲かっているのだが!!
なんということでしょう。
コロンビア人達の粋な計らいに感謝。
もちろん料理もおいしかったです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
結構前の話になりますが、コロンビアの首都ボゴタで大量のみぞれが降ったようですね。
そのニュースを見たのがボゴタを離れて1週間くらいだったので巻き込まれずにすみました。
しかしそれよりも実際見てみたいという気持ちが勝っていたので悔しい思いのほうが強かったです。
この”みぞれ”のことを granizado グラニサード とニュースでは言っていたのですが、フラッペやフラプチーノなどもこう呼びます。
たしかに見た目は一緒だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まず始めに告白しよう。
Manizales(マニサーレス)はあまり好きな町ではなかった。
というのも、まず入りからよくなかった。
ここマニサーレスの宿を出るとき、本当はここにもう一泊しようと思ったのだが、経営者の家族が出かける予定があるとかで断られた。
ちょっと感じが悪かった。
それからもう一度バスターミナルへ出向き、インフォメーションセンターで町の地図を貰う。
ここの人達の対応も非常にひどかった。
この時点で悪い印象を持ってしまった。
まず第一印象が悪かったのだ。
そうなるとそれからは悪いところばかり目についてしまう。
しかし、そこから挽回してマニサーレスが楽しい思い出をくれることをこの時の自分はまだ願っていた。
地図を見ると、セントロ(中心部)は坂の上にあるようだがケーブルカーを使えばその近くまで一気に行けるようである。
自転車も乗り入れOKということだったので、さっそく切符1600ペソ(80円)を買い乗車。
さすがにこの自転車で長距離を押し歩くのはキツい。
↑バスターミナルから出ているケーブルカー
↑上から見た景色。丘の上にあるためきれいだ
店や広場を眺めつつ壊れた自転車を引きずりながらホテルを探す。
カテドラルのすぐ近くにホテルがあった。
立地的におそらく高いとは思うのだが、一応入って値段を聞いてみる。
なんとここが40000ペソ(2000円)。
やはりめちゃくちゃ高かった。
試しに入っただけだったので泊まる気はなく、そのまま帰ろうとした。
すると、ホテルの従業員がみるみる値段を下げていき、なんと昨日の宿と同じ20000ペソ(1000ペソ)で泊まれることになった。
半額になってしまうなんて思いもしなかった。
こんな機会はあまりない。
このチャンスを逃すまいと、さっそく2泊お願いした。
2泊というのは、今日は適当に町をまわり、明日自転車屋に行く作戦だ。
しかし心の中で不安が渦巻いていた。
おそらく自分の勘が確かならば、明日の行程は無駄になってしまうはずなのだ。
その理由は後でわかるだろう。
この日は町を見て回ったが、他の場所と比べてやはり人々の雰囲気がよくないように見える。
もちろんいい人もたくさんいるのだが、この町の闇の部分があちこちに見え隠れしているのが人々の対応から見え隠れする。
カットフルーツを売っているおじいさんはこちらが目に入らないような接客をするし、物乞いは寄せてくるし・・・
↑しかし教会はどこも美しかった
↑この日はミサをやっていてあまり見学できなかった
↑カテドラルは夜にライトアップされる
↑カテドラルから数ブロック離れた広場にある教会
↑こっちの教会がお気に入り
↑木を使ったシックな造りでステンドグラスもふんだんにつけられている
その翌日。
自転車屋を探しに出発。
通りに何軒も並ぶ自転車屋の群れを見つけることができたが、どこへ行っても荷台のパーツがない。
あったところで、今使っている自転車に合うものがなかった。
予想通りだ。
中米でもそうだったが、こういう頻繁に売れるものではない若干マニアックなパーツは首都に行かないと見つからないのだ。
それに加え、自転車がメキシコ生まれなので型に違いができてしまうのかもしれない。
探しまわるうちに鉄鋼溶接所のようなところを発見。
以前コスタリカで溶接所へ行って直してもらった経験があったので、その経験を元にもしかしたら直せるかもしれないと考えつき、鉄工のおじさんに聞いてみる。
すると「まかせなさい」というような笑顔で荷台パーツを受け取り、あっという間にくっつけてくれた。
しかし鉄工のおじさんが言うには、くっつきはしたけどあまり重いものを乗せられないのだそうだ。
それでは困るので翌日に場所を移し、もう一度パーツを探そうと決める。
他のブログで見つけた、オススメだというホステルへ移動。
本当は始めからそっちへ行こうと思っていたのだが、セントロからかなり離れているようだったので、一昨日はあきらめていたのだった。
マニサレス宿
実際に行ってみると、地図で見るほど離れていない。
歩いて1時間といったところか。
ブログには詳しい場所がかかれていなかったので見つかるか心配だったが、なんとか発見。
↑ケーブルカー乗り場がある道路を真っすぐ行くとCable Plazaがあったので、そこをもう少し行ってみると高架橋からhostalの文字が!!
↑運良く見つかってよかった、と思いきやここは違ったようだ。この辺はホステルがたくさんある
↑適当にウロウロしていたら見つけたmountain hostels。さっきのホステルの、橋から見て一本右側の通りにあった。
↑向かいにあったホステル。ここの人に教えてもらったのだが、こっちに泊まりたかった。
ここのホステル、情報とは違い値段が20000ペソもする。
ドミトリーでこれは高すぎる。
せっかく苦労して見つけられたのでしぶしぶ了解するがすっきりしない。
スタッフに「その値段は5年も前の話だよ」と言われた。
たしかにブログには2009年と書かれている。
現在は2015年4月。
・・・・・。
コーヒーがいつでも飲めると書いてあったが、夕方にコーヒーをついでみるとカップ1杯分しか出ない。
しかも酸化したすっぱいコーヒーだった。
人は多いし、その中でもアメリカ人が多く、キッチンは汚くされていた。
翌日わかったのだが、全員に配られていたバスタオルはこちらにだけくれなかったようだ。
まわりの店も物価が高く、買い物しづらい。
町の印象が悪かったのが後を引いたのか、それとも期待しすぎたためか、どんどんどんどん不満が募る。
悪いところばかりを挙げたが、いいところを言うと、
夕方に子どものダンス教室が開かれていたが、それが終わった後に久しぶりに空手の練習をしてみた。
長い間やっていなかったので完全に忘れてしまっている。
やはり一度日本に帰ったほうがいいのかもしれない
と弱気になる自分が、目の前の鏡に写っていた。
↑小型のPS2
あまりソフトがなかったので、FPS(主人公目線のシューティングゲーム)のkill zoneというゲームをやってみた。
↑これ。評価はそこそこのようだ
FPSは昔ジャンピングフラッシュ2というPSのソフト(現在主流のFPSとは全然違う)をやったことがあったが、それ以外は触れたことがなかった。
ボタンやスティックを3つ4つ同時に操作しなければならず、かなり難しかった。
慣れてきたあたりで時刻は夜の11時をまわった。
静かにしなければならない時間なので、心残りだがゲームをやめる。
コントローラーを握るのなんて何年ぶりだろう。
久しぶりにやったゲームは時間の流れを忘れさせた。
このホステルを発見するまでに3軒ほど自転車屋を見つけていたのだが、昼休憩でどこも3時まで閉まっていた。
到着後すぐに荷物を置き、さっそく自転車屋へ。
3軒とも、昨日のどの店よりも良さそうで高そうでいいものがありそうな店だったが、自転車に合う荷台はどこにも置いていなかった。
がっかりしてホステルへ帰宅。
手に入れるにはボゴタに戻るしかなさそうだ。
次の日になり、台所へ。
朝食を各自で調理、とブログには書かれていたが、ホステルの人の話ではコーヒー飲み自由でドミトリーには朝食はつかないそうだ。
( ꒪⌓꒪)
(。-ˇ.ˇ-。)カチ-ン
この町で溜まりたまったストレスがここで限界になり、頭に来たのでさっさと出て行くことにした。
悪いのはこのスタッフではなく、
ブログの書かれた年を確認して現在変わっているかもしれないと予想しなかった自分が悪いのであり、
態度が悪いここの泊まり客や町人が悪い。
完全に八つ当たりなのだが、イライラが募りつもっている自分にそんな余裕はなかった。
2日間探しても荷台パーツは見つけられなかったが、しばらくはこのツギハギの荷台でも保ってくれるだろう。
早くここを出なければ。
※今回不運が重なったため嫌な思いをしましたが、きれいなところに泊まりたい人にはこのホステルが合うと思います。
しかし自分はオススメしません。
まわりにたくさんホステルが並んでいるので、探せばもっとよくて安いところもあるでしょうし、中心部にもチラホラとホステルを見かけました。
そっちを探したほうがいいかなーと思いますよ。
その地図に載っていない村の名は、Estacion Padua(エスタエスィオンパドゥア)というらしい。
そこでこれまた2泊してしまうのだが、とくに何か見所があるわけでもない平和な村だ。
節約のためにバンデーハではなくエンパナーダ(米入りコロッケのようなもの)で食いつないだ。
ちなみに、bandejaバンデーハとはプレート料理のこと。
almuerzoアルムエルソ(昼食)やcenaセナ(夕食、コロンビアではセナではなく単にcomidaコミーダ[=料理]と呼ぶことが多い)では肉や魚が乗った料理の他にもスープや飲み物がついてくるところがほとんどだが、メニューにバンデーハと書かれていた場合はそれと区別されスープがつかない。
言い換えると、アルムエルソにはソパ(スープ)とバンデーハとフゴ(ジュース)がついているということだ。
↑エスタエスィオンパドゥアの前景
~~~~~~~~~~~~
朝。
この日は一昨日辿り着けなかったラ・リビアという町まで今日は走る予定だ。
坂をいくらかのぼったのち、レストランが見えたので立ち寄る。
値段を聞いてみると8000ペソ(400円)とそこそこ高い。
人里離れたところだから仕入れに運搬費がかさんでしまうのだろうか。
値下げ交渉してみると、5000ペソ(250円)で料理を作ってくれることになった。
料理名がわからない自分に、どんなものがあるかフタを開けて見せながら説明してくれる主人。
そして、隣で食べていた人は帰り際、なにも言わずにこちらの料金を払ってくれた。
すごいでしょ?
コロンビアって。
親切なコロンビアの人たちのおかげで、旅費が大幅に減らせている。
もう資金が底を尽きようとしているので、これは本当にありがたい。
↑奥のスープもついて250円!
↑優しい主人に写真を撮らせてもらった。今気づいたが屋根に☆がついていて意外とオシャレにしてある
長屋のようになっている土産屋を通り過ぎ、ハリウッドのような看板を見ながら霧の中を突き進む。
↑お土産やがポツンと建っている
↑artesanias colombianasアルテサニアスコロンビア—ナスと書かれている。コロンビアの手工芸という意味。多分
やっと下り道が現れた、
とそのとき、
パキン
という甲高い音が後ろから聞こえた。
そしてタイヤに何かが擦れる音が…
荷台をひっかけている紐が外れたのかと確認してみると、なんと荷台そのものが壊れているではないか!
サドルの根元に留めている固定棒が両方とも折れてしまっていた。
荷台がタイヤに乗っかってしまっているので、これでは先へ進むことができない。
↑こうなってる
町までバスで行くしかないな
と考え、運良くすぐそこにあった大きめのきれいなレストランへ。
そこのおじさんがコーヒーを持ってきてくれながら、
バスはここに停まるから大丈夫。値段はマニサレスまで自転車含めて10000ペソ(500円)だね。お金厳しいの? じゃあ8000ペソまで交渉してやるから。全部俺が面倒見てやるから心配するな。
と、バスの運転手と運転手補助(多くのバスにはバスガイドのような補佐役が一人乗っている。大抵男)へのこちらの状況説明から自転車と一緒にバスに乗る方法の享受から、色々とお世話になった。
↑待っているときに見つけた蛾。毛が生えていてきれいな色だったので激写。もっとアップの写真もあるのだけど、嫌な人もいると思うので載せるのやめました
今日は土曜日なので帰省者が多いらしくどのバスも満員。
ここに停まってくれるバスはなかなか現れなかった。
2時間ほど待ち、やっと席が空いているバスが到着。
そこに乗り込む。
後ろの人が自転車を倒れないように押さえてくれたり、隣の人が話しかけてくれたり、乗客たちもみなとても協力的だった。
バスが発進すると、急カーブと急勾配の連続に5分でグロッキー状態に。
酔った。完全に。
吐きそうだったので意識を集中させ、目を閉じる。
2時間後。
眠っていた自分は車内の電気が点くとともに目が覚めた。
まもなくマニサレスに着くらしい。
バスターミナルで降ろされる。
値段は10000ペソと言われたが、「8000ペソ!8000ペソ!」と連呼したらちゃんと8000ペソにしてくれた。
その運転手さんが安めのホテルがある場所を親切に教えてくれる。
いつもは自分の目と足を使って道づたいに町へと入るので土地勘のようなものが生まれるのだが、バスに乗るとそれがなくなり心細くなる。
知らない場所にいきなりポンと放り出されるような寒々しい心持ちになり、少しだけ孤独を感じた。
荷物をすべて降ろすと、隣に座っていたバックパッカーらしい2人組がこちらへ来てスペイン語で何かをまくしたて、そして突然ターミナルの警備員の女性に金を払えと言う。
しかしそんなこと突然言われてもはいそうですかと払うわけもなく、盗まれる危険性があるのに置いておきたいはずもない。
それに突っぱねると、少し動揺していたバックパッカーたちは数分後にさよならを言って去っていった。
自転車を組み立て荷物をくくりつけ終わったころになり、やっと彼らがしゃべっていたその事情を飲みこめてきた。
今日は土曜日で明日は日曜日。
なので自転車屋は休みだ。
そこで、
ここに荷物を月曜日まで預けて一緒にタクシーでホテルに行こう
ということだったらしい。
だから寝る場所がどうのとかタクシーがこうのとか言っていたのか。
荷物預かり所の看板には[12時間で3000ペソ]と書かれていたのが見えたので、おそらく彼らは月曜までの預かりで3000ペソにしてもらうよう交渉してくれたのではないか。
とっても親切な彼らの好意をふいにしてしまった。
しかしあんなにスペイン語をまくしたてられてもこちらもわかるはずもないし、いきなり金を出せと言われても出せるはずもない。
それくらいバックパッカーをやっている身ならわかるだろうと思うのだが。
まあ、チャリダーとバックパッカーは端から見ると似ているようで実は全然性質が違うもの。
結局わかりあえないものなのかもしれない。
今度べつの投稿でそれらの違いについて書いてみようか。
いつかどこかで同じような内容を書いた気もするが、まあいいだろう。
ターミナルの裏手にまわると、さっきのバスが目の前をゆっくり通り過ぎながら、運転手と補助役の人が
「あっちあっち!!」
と大振りのジェスチャーで伝えてくれる。
そちらへ行き、レストランもやっている宿泊施設へ。
20000ペソ(1000円)と平均的なお値段。
この店もこのあたりも雰囲気は良くないが、他はこれより値段が高く、この自転車を引きずりながらもっと遠くへ行くことは困難なので今日はここに泊まることになった。