忍者ブログ

となりの国

Home > ブログ > 11、コロンビア

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

帰り道

ここからボゴタまで、これまた色々あったのだが、一度通った道なのではしょって書いていくことにする。



朝8時、カルロスさんの友達が来て、車で送ってくれた。

車中でパネーラ(黒糖)キャラメルやパンを食べさせてくれ、通る町通る町紹介しながら走ってくれる。

こちらがスペイン語を話せないことを知っているので、ゆっくりと単語のみで説明してくれた。

トゥンハで降ろすと言っていたのだが、ベンタケマーダに友達がいると言うとそこまで送ってくれた。

ベンタケマーダのいつものレストランでコーヒーを飲みカステラを食べる。

そして2人で、この町で知りあいになったジョンの職場へ。

「おかえりなさい!」
と日本語で歓迎してくれた彼の家に1泊泊まらせてもらうことになった。



元野良犬のギンは体格が良くなり、毛並みもきれいになってきて健康体になっていた。
前は体がやせ細り毛が大量に抜け落ちていたのだが、いまでは肥満の一歩手前まで来ている。

さぞ利口になったのだろう、と思っていたのだが、案の定自転車を倒されたりジョンのモップをバラバラにしたりと、イタズラ心は変わっていなかった。


ジョンのほうは、あれから日本語の勉強をあまりしていなかったと言う。
いやー、自分のせいかな。

日本に対して幻滅してしまったのではないか、と思ったが、どうだろう。
でも期待しすぎてもよくないだろうし、まあいいか。


次の日に出ることを伝えていたので、その夜は飲んで踊っての騒ぎになった。

ジョンの家で一泊して出発。

町を出る前に、昨日の夜に酒を飲んでいるときにたまたま知りあった中年の男性や以前からよく一緒に遊んだ女の子、ラジオパーソナリティのいつも元気な女性と再会し、レストランを切り盛りしているおかみさんも入って昼過ぎまでおしゃべりをした。


ジョンはこのとき仕事で朝早くトゥンハへ行っていたのでいなかった。


    ↑このあたりの景色は本当にいい



前回は泊まらなかったビジャピンソンで一泊。


泊まったホテルは愛想は悪いし嘘はつくし(ここ以外にホテルはないと言っていたのだが、隣にホテルがあるのを知っている)、あまりいい印象ではなかったのだが、大幅に値下げができたのでここにした。


おそらくもともと高値でふっかけてきていたのだろう。
値段は簡単に下がった。

この日は教会が開いていたので入ってみた。
質素だが神聖な雰囲気のあるすてきなところだった。





    ↑ステンドグラスはないが、こういう教会も好き。トップ絵はこの教会の床の写真です



    ↑ものすごい行列が歩いていた。暗い雰囲気だったので葬式だろうか



そのままセスキレ村のラウロのところまで一気に行こうと思ったのだが、前に来たときにとても気に入っていたチョコンタの町で2泊してしまった。


ついつい。



だってここのホテルが値段は安いしきれいだしwi-fiは使えるしで好条件のところだったのだ。

町も好みで、中心部は人がわりといて賑わっており、ほどほどに賑やかなところなので座っているだけで楽しい。

ここでオカリナでバスキング(路上パフォーマンス)をしようか迷い、結局勇気がなくてできなかった。



2日後にセスキレに入り、自分のことを覚えているかどうか心配になりながら派出所へ。

この日ちょうどラウロがここの当番だったらしく、派出所内の席にいた彼は手を振って外に出てきてくれた。

見回りじゃなくてよかった。

そのまま色々な話をしながら、今日は泊まっていっていいと言われる。

お言葉に甘えて家にお呼ばれした。

そのときに「さあキッチンに行こう。何が必要だ?なんか作ってくれよ。前回のトマトスープでもいいからさ」

と畳み掛けられたので、前に作ってあげた料理が本当に気に入ってくれてたのだなと安心した。

お世辞じゃなかったのだ。

結局作らなかったけど。


    ↑あいかわらずこの町の見晴らしも素晴らしい


ラウロはこの1ヶ月の間に1階から2階へと引っ越したようだ。

出産をすませた奥さんと、それから女友達2人もこの家に住み込んでしまったらしい。

もう1ヶ月はここにいろよ。

と言われ心を動かされそうになるが、しかしボゴタで会う人も何人かいるので早く行かなくてはいけない。

翌日にはここを離れた。

そのままボゴタへ入っていった。

同じ道を辿ることになったが、見覚えのあるところを通るのはなかなか楽しいものだった。



    ↑見にくいが中央やや右側に日本の国旗がある。ホテルらしいが、投資したのだろうか…?

___________

ボゴタ市内、来た道とは違う通りに出たので戸惑ったが、なんとか見覚えのあるところに出ることができた。

途中、自転車に乗ったかわいらしい白人女性がこちらへ話しかけてきたが、「スペイン語はできる?」の問いに「no」と答えたので、そのままなにも話さずにお別れになってしまった。



日本食屋「侍や」に到着。

夜のオープンが5時だと思っていたのだが、実は6時だったことが発覚。


トタ湖で会った夫婦に電話をして連絡を取らないといけないのだが、おそらく今日ここに寄らないとこれから先もう行けないだろうと思い、開店まで待つことにした。

というのも、前に一回ここに来たときに「また来る」と約束したのだ。

ここは中心部から距離があるので昼の開店時間に合わせて行きにくいため、今日を逃すと顔を出す機会がない。

1ヶ月以上ぶりに侍やのオーナー高橋さんと話をする。

この人はよくしゃべるのにあまりこちらに対して質問してこないので、口下手な自分とは相性が抜群にいい。



ここの料理の値段が高いのを知っていたので、少し前に食事をしていた。
だから注文を断ったのだが、ふりかけや練り梅が入った卵かけごはんと緑茶をごちそうになってしまった。


久しぶりの梅干しの味は大変美味でした。



あっという間に数時間が経ち、日本語の小説を再度もらってお別れを言って去る。

トタ湖の夫婦にはまだ電話する気満々だったのだが、高橋さんのアドバイスによりそれは取り止めホテルに泊まることにした。




もう数十年続いている日本食屋だが、経営が厳しいらしい。

ということでCMです。


ランチは19000ペソ(950円くらい)。
夕食もそのあたりで食べられます。

食事をしなくても、話をするだけでも行ってみるといいかも。
奥さんはにらみ顔をするかもしれませんが、高橋さんはニコニコ迎えてくれると思います。多分。

 侍や Saumrai-ya
住所:Cra7A No.124-22 Sta.Barbara Occidental Bogota Colombia
 カレーラ7の通りのバスで「カジェ124」のあたりで降りると近いです。至る所に通り名の書かれた看板があるので、それを目安に。
ってかこれ前にも書いたな




暗い夜道を走り、ホテルに着いたのが夜の9時すぎ。


危険だと言われていたボゴタの中心部だが、この日は人がたくさんいてそこまで危ない雰囲気でもない。

自転車でノンストップで走り去ってしまえばどうということもなく到着することができた。

ホテルの従業員は自分のことを覚えていてくれたのか、顔を見るだけで大げさな歓迎ポーズをとりながらすぐに部屋へ案内してくれた。


疲れていたのでチェックインがスムーズにいって助かった。

いい部屋が全部埋まっているので、明日部屋をとり替えてあげよう

ということだった。
やさしい。

しかしこれで短期滞在がしにくくなってしまった。


しょうがないなー節約しなくちゃいけないけどちょっとゆっくりするかー。
いやーまいったねぇははは




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[2回]

PR

客に食事を出すコロンビア文化・Duitama


    ↑この町出身の自転車チャンピオンの像



モンギの滞在も終わり、ここから一気に首都ボゴタへ帰っていく。


今日はパイパの町で一泊する予定だ。
もし着かなければ、その10km手前のドゥイタマで泊まることにする。




   ↑ソガモソのちょい右上にモンギがあり、ドゥイタマのDの左下にある小さな池のところがパイパ


 

モンギから一気に坂を下り、ひどい砂利道を通って、前に泊まったホテルの場所へと戻る。

行きは3時間かかっていたのが、今日は1時間もたっていない。
体力も十分残っている。


走行時間や体のコンディションはやはり道の状況で左右されるものだ。
ルートを考える時は距離だけでなくそういうところも考えなくてはいけない。




帰りは、大きな町ソガモソを通らない裏ルートから直接ドゥイタマを目指す。

道は比較的なだらかで、整列している家もレンガ造りで明るくオシャレないい雰囲気を醸しだしている。
それらの中にはホテルも混ざっていたが、おそらくかなり高いだろう。




苦もなく1時間か2時間かそこらでドゥイタマへ到着。
まだ昼だ。





ドゥイタマに来たら一つだけやることがあった。

それはトタ湖近くで出会ったカルロスさんに連絡をすることだ。
小さな出店で携帯電話を借りる。


この携帯電話を借りるサービス、ここではminutos(ミヌートス="
数分"という意味)と呼ばれているらしい。

コロンビアではこのminutos〜(〜は数字と$マーク。店によって50〜300まであった)の張り紙や看板をいたるところで見ることができる。


始め見たときは何のことか理解できず、コロンビアはコーヒーが有名らしいのでコーヒーのことを書いているのかと思っていた。

しかしコーヒーを頼んでも値段が違うので、今度は「一服」という意味でタバコ一本の値段を書いているのかと予想。


結局、電話のことだとわかるのはずっと先になってからだった。



電話先でカルロスさんはすぐに自分のことを勘づいてくれたようで、スムーズに落ち合う場所を教えてくれた。


しかしそこから
電話を店のおばさんに代わってもらい、紙に書いてもらい、場所をジェスチャーで教えてもらう、

という何段階にも分けられた通訳をしてもらわなくてはいけなかったので、電話1本で一苦労だ。
言葉が話せたらどんなに便利だろう。




教えてもらった病院へ向かうその途中、自転車に乗ったカルロスさんが迎えにきてくれた。
そしてカルロス宅へ招かれる。



軽食を出してもらった。

このあたりではお客さんに食事を提供することがマナーになっているらしい。
だから断ったら失礼になる
とは、のちに別の友人が言っていた言葉である。



話の流れから今日はパイパまで行くことを伝えると、
ここに泊まっていって明日車でトゥンハまで送ってくれるという。

2日はかかると思っていた行程を数時間にショートカットできることになる。
これは嬉しい。



ということで、カルロスさんの家に一泊させてもらうことになった。



    ↑即興で作ってもらったベッド。どでかいエアーマットにシーツや毛布をつけてもらった。めっちゃ快適



カルロスさんの誘いで、奥さんと一緒にドライブ。
ドゥイタマの町を見てまわることになった。



まずはメルカド(市場)へ。

多くの果物を見せてくれて、指を指してはスペイン語の名前を言ってくれたあとに「これは日本にはあるかい?」と質問してくる。

その光景はそのうち動画にすると思います。



    ↑グラナディージャという名前らしい果物。一つ買ってもらっちゃった



    ↑中はこんなん。ちょっと気持ち悪いけどおいしかった。種がジャリジャリしてて白い部分含め全部食べられる



そしてカテドラルへ。


車を停めるところがないため、
自分だけ降り、車でゆっくり広場をまわっている間に見学するというタイムアタックを開始。


唐突に始まるこの急展開。
急げ! 急ぐんだ!!



    ↑カテドラルの外観




    ↑内部




    ↑かなり素晴らしい造りをしていた。10段階評価でいうと8。もっとゆっくり見たかった



そして町外れまで連れて行ってもらい、高台からドゥイタマの全貌を眺める。





それからカルロスさんの友人の家へ。

ここでもやっぱり軽食が出された。
皆でそれを食べ、ホットココアをすすりながらおしゃべりする。


こういうのがこっちの文化なんだなぁ、
とその光景をしみじみ眺めていた。






    ↑左から奥さんとカルロスさんとその友人




    ↑真ん中の友人にトゥンハまで送ってもらうことになった




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[2回]

遭難しかけた(゚Д゚;)モンギ−

 



小さなリュックを背負い、中には水筒とちょっとしたおやつ。
いざ、Paramo de Ocetaに出発。





ホテルの人の話だとここから3kmくらいで着くみたいだし、まあそんなにかからないだろう。
と思っていた。



しかしこれが大嘘。



実はもっとずっと距離があり、しかも険しい山道を歩いていかなくてはならなかったのだった。

始めは自転車で行こうと思っていたのだが、自転車が通る隙なんてまったくない。
昨日ホテルをとっておいてよかった。




看板に書いてあった方向へ進むが、その先目印となる看板は一切なくなる。
しかも分かれ道がありすぎてどっちへ行けばいいのかわからない。


たまたま歩いていた人達に道を聞きながら、山道の入口を1時間以上行ったり来たり。

すでに疲れてきた。



    ↑原住民の像らしい




    ↑少し登ると見えた尖った岩山。モンギの公式サイトにはPeña de Otíと書かれていた。



    ↑てっぺんに十字架がたっている




    ↑ここから道がなくなりあせる。道が違うのかと思って3往復くらいした



道なき道を進み、獣道を進み、石を飛びこえ川を渡って隣の山へ。
道はいくつも別れていたが、大体の方角は教えてもらっていたので、とりあえずそっち側へと進む。




    ↑こんな道を進むんです。わかりづらい



 
    ↑途中の湿地帯ゾーンにはまってしまい、こんな状態に。



道はどんどん険しくなるし、靴はぐちょぐちょのドロドロだし、道はわからないしで正直心が折れてしまいそうなのだが、「せっかくなのでもうちょっと先を見てみよう」と無謀にもまだまだ進む。



すると、それを止めるかのように目の前に鋼のワイヤーが現れた。
完全にそこから奥へは行かせないような張り方である。
しかしそのさきにも道が続いていた。

ワイヤーは柵を動かすことで避けられそうだったので、そのまま突き進むという暴挙に出た。

強引に奥へ。




広い草原に出る。
道はなくなるがそれでも進んでいくと・・・



 
    ↑こんな景色。

左側に小さく見えるのが、


    ↑こんな小屋。なんだろう、ゲリラとかいたら嫌だな



そして小川があってそこから行き止まり。




ここからも行こうと思えばまだ行けそうなのだが、さすがに道を間違えているのは確実なので、戻ることにした。



広い草原を戻る。

そして、






戻り道がわからなくなった。




完全に迷子にならないように慎重にウロウロしてなんとか来た道へと戻ることに成功。


しかし今度は川を渡った箇所がどこだったのかわからなくなってしまう。
どこかで右へ曲がって川を越え、隣の山へ移らないといけないのだが、そこがどこだったか忘れてしまった。




英語の声が聞こえたので後ろを振り返ってみると、



  


なんと他の旅行者団体が峰を歩いているではないか!

ええ!! あそこを通るんだったの!?


こちらは山のふもと近くを泥だらけになりながら歩いていったというのに。
っていうかどっから上へ登ったんだ。
そこへの道がまずわからないのだが。




人を見た途端、安堵のせいかなんだか疲れてしまって大きい石の上に座り込む。


そしてその団体についていくように先へ。
通ってきたところとは完全に違う場所だが、ガイド付きの人達がそっちへ行っているのでまあ間違いはないだろう。













そしてはぐれた。



道もわからなくなってしまった。




あの人達はどこに行ってしまったのだろう。

もしかしたら幻覚だったのかもしれない。
山で幻覚を見るという話は結構よく聞く。
しかしこんな高いとは言えない山でそんなものを見るだろうか。




しょうがないので道なき道を走り降り、何度も家畜用のトゲトゲ付きワイヤーを乗り越える。

山で迷った時は本当はこんな無茶なことをしてはいけないのだろうが、町が近いということとその方角はわかっているので、下手にウロチョロするよりもひたすら下ったほうがいいと判断。


丘を駆け降りていくと、あの団体が木の橋を渡っているところを発見。
よかった。助かった。




そのまま団体についていき無事にモンギの町へ着いたのだったが、そのルートが入山したルートと全然違うではないか。


始めっから間違っていたのか。

あの看板も、あの表記も、すべてが嘘だったのだ。
ああ、騙された。




このように、モンギではほとんどいいことはなかったのでした。


パラモデオセタへ行く人は地図をもらうかガイドについていきましょう。
3時間くらいの山行で着くらしいです。



今回見れなかったパラモデオセタの光景はたぶんこんな感じ
            ↓





気になる人は画像検索してみてください。



こっちは町の外れの光景。



おそらくこのようなちっちゃいボサボサの低木が並んでいる荒野なんだと思います。

しかし、このパラモという植物が生えているとまわりの草花が生えなくなるらしく、問題になっているそうです。




うーん、行ってみたかったなぁ。
しかし再挑戦する気力も資金もないのでやんす。




にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[2回]

ヽ(`Д´#)ノモンギ− っとなるモンギ

〜〜〜〜〜

Boyaca(ボジャカ)方面に行ってから、レモナーダ(レモンジュースらしいがレモンっぽい味がしないおいしいジュース)をとんと見なくなりました。

ボゴタから北西のほうは、レストランの飲み物といえばレモナーダ!というくらい頻繁に出されたのですが、
ボジャカのほうではグァジャバ(グアバ)ジュースとモラ(ブラックベリー)ジュースが大多数を占めていました。

体に良さそう!

〜〜〜〜〜


ちょっと愚痴っぽくなってしまうのだが、モンギの話を聞いてください。



町外れのホテルを出て、モンギの町へ向かう。




目的地まで標高2800m。
今日700mは登るらしいが、走り始めは全然そんな気配はない。
それより砂利道がずっと続いていて、そっちがとても辛かった。

トラックがたくさん走っていて土ぼこりが立ち、口や鼻、荷物に降り掛かってくる。
石にハンドルを取られ車道の中央に出そうになるし、タイヤの損傷も心配だ。



しかしそれも数kmで終わった。
「終わった」とは、道がきれいになったという意味もあり、上り道が始まったという意味でもある。


    ↑山の始まりにあった看板。この先色々な観光地があるみたいだ



    ↑Laguna Negra(ラグーナネグラ)とは”黒い湖”という意味。15kmなら余裕があったら行ってみたいが、きっとキツい道なんだろうな




しんどい坂道も、あのトタ湖への地獄坂と比べれば全然たいしたことはない。
へのカッパ とでも言っておこうか。


こんなのちょちょいのちょいと行ってやろう。
ぜーんぜん平気っす。
ぜーんぜん。


と、今にも倒れそうなくらいフラフラしながら自転車を進めた。



”ようこそモンギへ!”
の看板が現れたとしても油断してはいけない。

その先モンギの街中までまだ4kmほどあるのだ。




やっと着いた。
子どもに「旅行者?」と話しかけられながら白い外壁が並ぶ通りへ入った。




さて、ここでまず始めに何をやったかというと、


そう、お分かりの通り、





ホテル?
ちがうちがう。










ト イ レ 探 し だ 。




非常事態にまでは陥っていないが、それでもトイレに行きたくてしょうがなかった。


店の何軒かに尋ねてみるがどこもないらしい。
”貸してくれない”という意味だろう。


道を歩いていたおじさんに、

セントロに行けばあるんじゃない?

と言われ、トボトボと先へ進もうとしたそのとき!
後ろから、

家のトイレを使わせてあげる

というおばさんの声が。



すぐ近くの家へ入りトイレを使わせてもらった。


しかし、こんな風にすすんで自分家のトイレを使わせるというのは何か裏がありそうだ。
荷物に注意しつつ急いで用を足した。



トイレから出ると、おばさんが薬のような物を持ってきた。

この粉末を水に入れるとエネルギーが補給できるの。サイクリストはみんなこれを使ってるわ。よかったらこれ一瓶あげる。

というようなことをジェスチャーとともに言う。


そして  55000ペソ払え  と。



そう、ものを売りつけようとしていたのだ。
やっぱり何か企んでいたな。


値段を言われたあと、あざけりの笑いとともに

そんなの払えねーよ

と突っ返した。


おばさんは

じゃあこの名前をメモしておいたら? お金が入ったら買えるでしょ。

というが、こちらは仕事がないので収入もない。
メモしたところで無駄だ。

そう伝えるとかわいそうに思ったのか、じゃあ少し分けてあげる、とドリンクボトルの中の水にその粉末を少しだけ入れてくれた。


ダメ押しに色々言っておいたのが功を奏したのか。
そんなに嬉しいものでもないが、ラッキーと言えばラッキーだ。



結果だけ見れば、

トイレを貸してくれてしかもスポーツ飲料の粉を分けてくれた

というすごく良い人のようにも見えるが、でもそれは過程を無視した”結果”のみであり、自分はこういうのは好きじゃない。

金持ちに見られたのも不愉快だった。



ちなみに、メモはしてないがその商品の名前は NRG(エネレへ) というものだった。
多分一生買うことはないだろう。




お礼を言って家を出てセントロへ。




ここの教会は、古い感じになにか説得力を放っている。


しかもここの教会、
なにがすごいって、
なんと時計が正常に動いているのです!!


これまで教会に時計がついていればそれは全部壊れているか狂っているものだったので、これには驚いた。
めっちゃ便利じゃないですか!

腕時計をなくしてしまった身としてはこれはありがたい。






近くのカフェで軽食をとる。

ここは安くて店員の女性の対応もよく、自分の中でお気に入りの店となった。


    ↑甘い蒸しパンとミルクコーヒー




    ↑店内にはたくさん絵が飾られていた



その店員さんに安宿はどこにあるのか聞いてみた。

こっちに来てと言われ、一緒に近くのドラッグストアへ。
その店の人がどこかのホテルへ電話してくれたのだが、部屋は安くて30000ペソ(1500円とかそこら)だそうだ。

そんな金は払えないのでお断りすることにした。



ここモンギは、物価は安いがホテルはかなり高いのだ。
トイレを探している途中でも、ここのホテルは高いぞ、と何度も言われていた。




カフェへ荷物を取りに行くと、広場を歩くポーランド人だという人に声をかけられた。
彼も今日ここに来たらしい。


英語で少し会話したあと、

この辺はたくさんホテルがあるから

と場所を教えてくれた。



hospedaje(オスペダへ=宿泊施設)と書かれたところへ足を運び、扉をノック。

しかし誰もこない。
壁には電話番号。

これは…
かけろ ということだろうか。

しかしスペイン語を操れない自分には無理だ。



そう判断し、別の場所へ。
…行こうと思ったのだが、どこも扉は閉ざされている。


結局電話をしなければいけないのか!!





一か八か大きなホテルへ行ってみる。
が、やっぱりここも扉が閉まっていた。

そこから町の眺めを見つめていると、扉からおかみさんが登場。
その人が安宿に連れて行ってくれるらしい。


と思いきや、中心の広場まできてそこから動こうとしない。
いやだからドアが閉まってて電話がー
と何度も言うがまったく動かない。




おかみさんと別れ、たまたま目についた観光案内館へ入ってみる。

そこにはさっきのポーランド人が座っていた。


案内人らしい男に電話が必要だがスペイン語ができないということを必死に伝えるのだが、全然通じないうえにちゃんと聞いてくれない。

そして電話をかけてくれるのではなく、キャンプ場が近くにあるからそこへ行けとその情報を紙に書き始めた。


荷物を安全に置きたいからホテルを探しているのに、それだったら広場のベンチで寝たほうがタダだしそっちのほうがいいだろ!!

としびれを切らし、そこから出て行った。
慌てるポーランド人。
やっぱり言葉は通じず「ああ、他の町に行くんだったらいいよ」とアホなことを言う案内の男。


ちなみにキャンプ代は10000ペソらしい。
たっけぇ。




腹立ち紛れに乱立しているオスペダへのドアをノックしてまわる。


何戸かすぎたあたり、
道を歩いていた女学生たちに、ホテルを探しているんですか?とちょうど尋ねられたときに、
そのドアは開いた。



まだ若い女の子が扉の横に立っている。
部屋は空いているという。
そして値段は25000ペソ(1250円)。
そこから20000ペソ(1000円)に値下げしてもらった。


家族で経営しているらしいこの宿の人達は、丁寧で物腰柔らかくとてもいいところだった。

2泊頼んで荷物を置く。

ああ、疲れた。




こんな感じであんまりいいことが起きなかったモンギの初日であった。




 
    ↑夜に入ったファストフード店のメニュー。上のほうにperro(犬)と書かれている。



    ↑ちょうど犬が店内に入ってきたので、おいしく香ばしい犬焼きを。照り焼き風に焼いてこれが本当のテリーヌ・・・って違いますからね。
    ホットドッグのことをこっちでもperro caliente(ペッロカリエンテ、カリエンテは温かいという意味)と言うらしいのです。





そういえばこっちのテレビやネットで、中国がネズミやネコや犬を食べるということが話題になったらしく、

日本でもたべるんでしょ?

とか

日本ではどんな肉を食べるの?

とよく聞かれた。




    ↑注文したのはチョリパパ(チョリソーとポテト)。ソースがこんなに付いてくる。左から、何かのフルーツの甘いソース、ケチャップとマヨネーズを混ぜたソース。マスタード、ホワイトソース、ケチャップ。




    ↑もちろん全部かけました。マスタードをベースにうまいことミックスして食べられるようなかけ方にしてみました。おいしかったです。
    甘いソースもおいしかったけど、やっぱりケチャップが一番合うかな。





モンギ編 つづく…



にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ

拍手[2回]

PAGE TOP