- 2024/11/21
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今のところ自転車でなんとかやりくりしつつ 踏ん張りながら だましだまし 時には励まし合い時には喧嘩もしながら一人で世界を旅行中です。よかったらpart2 現地情報ややってほしいこと、知りたいことなどありましたらコメントかメールにて受付中!
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ここからボゴタまで、これまた色々あったのだが、一度通った道なのではしょって書いていくことにする。
朝8時、カルロスさんの友達が来て、車で送ってくれた。
車中でパネーラ(黒糖)キャラメルやパンを食べさせてくれ、通る町通る町紹介しながら走ってくれる。
こちらがスペイン語を話せないことを知っているので、ゆっくりと単語のみで説明してくれた。
トゥンハで降ろすと言っていたのだが、ベンタケマーダに友達がいると言うとそこまで送ってくれた。
ベンタケマーダのいつものレストランでコーヒーを飲みカステラを食べる。
そして2人で、この町で知りあいになったジョンの職場へ。
「おかえりなさい!」
と日本語で歓迎してくれた彼の家に1泊泊まらせてもらうことになった。
元野良犬のギンは体格が良くなり、毛並みもきれいになってきて健康体になっていた。
前は体がやせ細り毛が大量に抜け落ちていたのだが、いまでは肥満の一歩手前まで来ている。
さぞ利口になったのだろう、と思っていたのだが、案の定自転車を倒されたりジョンのモップをバラバラにしたりと、イタズラ心は変わっていなかった。
ジョンのほうは、あれから日本語の勉強をあまりしていなかったと言う。
いやー、自分のせいかな。
日本に対して幻滅してしまったのではないか、と思ったが、どうだろう。
でも期待しすぎてもよくないだろうし、まあいいか。
次の日に出ることを伝えていたので、その夜は飲んで踊っての騒ぎになった。
ジョンの家で一泊して出発。
町を出る前に、昨日の夜に酒を飲んでいるときにたまたま知りあった中年の男性や以前からよく一緒に遊んだ女の子、ラジオパーソナリティのいつも元気な女性と再会し、レストランを切り盛りしているおかみさんも入って昼過ぎまでおしゃべりをした。
ジョンはこのとき仕事で朝早くトゥンハへ行っていたのでいなかった。
↑このあたりの景色は本当にいい
前回は泊まらなかったビジャピンソンで一泊。
泊まったホテルは愛想は悪いし嘘はつくし(ここ以外にホテルはないと言っていたのだが、隣にホテルがあるのを知っている)、あまりいい印象ではなかったのだが、大幅に値下げができたのでここにした。
おそらくもともと高値でふっかけてきていたのだろう。
値段は簡単に下がった。
この日は教会が開いていたので入ってみた。
質素だが神聖な雰囲気のあるすてきなところだった。
↑ステンドグラスはないが、こういう教会も好き。トップ絵はこの教会の床の写真です
↑ものすごい行列が歩いていた。暗い雰囲気だったので葬式だろうか
そのままセスキレ村のラウロのところまで一気に行こうと思ったのだが、前に来たときにとても気に入っていたチョコンタの町で2泊してしまった。
ついつい。
だってここのホテルが値段は安いしきれいだしwi-fiは使えるしで好条件のところだったのだ。
町も好みで、中心部は人がわりといて賑わっており、ほどほどに賑やかなところなので座っているだけで楽しい。
ここでオカリナでバスキング(路上パフォーマンス)をしようか迷い、結局勇気がなくてできなかった。
2日後にセスキレに入り、自分のことを覚えているかどうか心配になりながら派出所へ。
この日ちょうどラウロがここの当番だったらしく、派出所内の席にいた彼は手を振って外に出てきてくれた。
見回りじゃなくてよかった。
そのまま色々な話をしながら、今日は泊まっていっていいと言われる。
お言葉に甘えて家にお呼ばれした。
そのときに「さあキッチンに行こう。何が必要だ?なんか作ってくれよ。前回のトマトスープでもいいからさ」
と畳み掛けられたので、前に作ってあげた料理が本当に気に入ってくれてたのだなと安心した。
お世辞じゃなかったのだ。
結局作らなかったけど。
↑あいかわらずこの町の見晴らしも素晴らしい
ラウロはこの1ヶ月の間に1階から2階へと引っ越したようだ。
出産をすませた奥さんと、それから女友達2人もこの家に住み込んでしまったらしい。
もう1ヶ月はここにいろよ。
と言われ心を動かされそうになるが、しかしボゴタで会う人も何人かいるので早く行かなくてはいけない。
翌日にはここを離れた。
そのままボゴタへ入っていった。
同じ道を辿ることになったが、見覚えのあるところを通るのはなかなか楽しいものだった。
↑見にくいが中央やや右側に日本の国旗がある。ホテルらしいが、投資したのだろうか…?
___________
ボゴタ市内、来た道とは違う通りに出たので戸惑ったが、なんとか見覚えのあるところに出ることができた。
途中、自転車に乗ったかわいらしい白人女性がこちらへ話しかけてきたが、「スペイン語はできる?」の問いに「no」と答えたので、そのままなにも話さずにお別れになってしまった。
日本食屋「侍や」に到着。
夜のオープンが5時だと思っていたのだが、実は6時だったことが発覚。
トタ湖で会った夫婦に電話をして連絡を取らないといけないのだが、おそらく今日ここに寄らないとこれから先もう行けないだろうと思い、開店まで待つことにした。
というのも、前に一回ここに来たときに「また来る」と約束したのだ。
ここは中心部から距離があるので昼の開店時間に合わせて行きにくいため、今日を逃すと顔を出す機会がない。
1ヶ月以上ぶりに侍やのオーナー高橋さんと話をする。
この人はよくしゃべるのにあまりこちらに対して質問してこないので、口下手な自分とは相性が抜群にいい。
ここの料理の値段が高いのを知っていたので、少し前に食事をしていた。
だから注文を断ったのだが、ふりかけや練り梅が入った卵かけごはんと緑茶をごちそうになってしまった。
久しぶりの梅干しの味は大変美味でした。
あっという間に数時間が経ち、日本語の小説を再度もらってお別れを言って去る。
トタ湖の夫婦にはまだ電話する気満々だったのだが、高橋さんのアドバイスによりそれは取り止めホテルに泊まることにした。
もう数十年続いている日本食屋だが、経営が厳しいらしい。
ということでCMです。
ランチは19000ペソ(950円くらい)。
夕食もそのあたりで食べられます。
食事をしなくても、話をするだけでも行ってみるといいかも。
奥さんはにらみ顔をするかもしれませんが、高橋さんはニコニコ迎えてくれると思います。多分。
侍や Saumrai-ya
住所:Cra7A No.124-22 Sta.Barbara Occidental Bogota Colombia
カレーラ7の通りのバスで「カジェ124」のあたりで降りると近いです。至る所に通り名の書かれた看板があるので、それを目安に。
ってかこれ前にも書いたな。
暗い夜道を走り、ホテルに着いたのが夜の9時すぎ。
危険だと言われていたボゴタの中心部だが、この日は人がたくさんいてそこまで危ない雰囲気でもない。
自転車でノンストップで走り去ってしまえばどうということもなく到着することができた。
ホテルの従業員は自分のことを覚えていてくれたのか、顔を見るだけで大げさな歓迎ポーズをとりながらすぐに部屋へ案内してくれた。
疲れていたのでチェックインがスムーズにいって助かった。
いい部屋が全部埋まっているので、明日部屋をとり替えてあげよう
ということだった。
やさしい。
しかしこれで短期滞在がしにくくなってしまった。
しょうがないなー節約しなくちゃいけないけどちょっとゆっくりするかー。
いやーまいったねぇははは
↑この町出身の自転車チャンピオンの像
モンギの滞在も終わり、ここから一気に首都ボゴタへ帰っていく。
今日はパイパの町で一泊する予定だ。
もし着かなければ、その10km手前のドゥイタマで泊まることにする。
↑ソガモソのちょい右上にモンギがあり、ドゥイタマのDの左下にある小さな池のところがパイパ
モンギから一気に坂を下り、ひどい砂利道を通って、前に泊まったホテルの場所へと戻る。
行きは3時間かかっていたのが、今日は1時間もたっていない。
体力も十分残っている。
走行時間や体のコンディションはやはり道の状況で左右されるものだ。
ルートを考える時は距離だけでなくそういうところも考えなくてはいけない。
帰りは、大きな町ソガモソを通らない裏ルートから直接ドゥイタマを目指す。
道は比較的なだらかで、整列している家もレンガ造りで明るくオシャレないい雰囲気を醸しだしている。
それらの中にはホテルも混ざっていたが、おそらくかなり高いだろう。
苦もなく1時間か2時間かそこらでドゥイタマへ到着。
まだ昼だ。
ドゥイタマに来たら一つだけやることがあった。
それはトタ湖近くで出会ったカルロスさんに連絡をすることだ。
小さな出店で携帯電話を借りる。
この携帯電話を借りるサービス、ここではminutos(ミヌートス="数分"という意味)と呼ばれているらしい。
コロンビアではこのminutos〜(〜は数字と$マーク。店によって50〜300まであった)の張り紙や看板をいたるところで見ることができる。
始め見たときは何のことか理解できず、コロンビアはコーヒーが有名らしいのでコーヒーのことを書いているのかと思っていた。
しかしコーヒーを頼んでも値段が違うので、今度は「一服」という意味でタバコ一本の値段を書いているのかと予想。
結局、電話のことだとわかるのはずっと先になってからだった。
電話先でカルロスさんはすぐに自分のことを勘づいてくれたようで、スムーズに落ち合う場所を教えてくれた。
しかしそこから
電話を店のおばさんに代わってもらい、紙に書いてもらい、場所をジェスチャーで教えてもらう、
という何段階にも分けられた通訳をしてもらわなくてはいけなかったので、電話1本で一苦労だ。
言葉が話せたらどんなに便利だろう。
教えてもらった病院へ向かうその途中、自転車に乗ったカルロスさんが迎えにきてくれた。
そしてカルロス宅へ招かれる。
軽食を出してもらった。
このあたりではお客さんに食事を提供することがマナーになっているらしい。
だから断ったら失礼になる
とは、のちに別の友人が言っていた言葉である。
話の流れから今日はパイパまで行くことを伝えると、
ここに泊まっていって明日車でトゥンハまで送ってくれるという。
2日はかかると思っていた行程を数時間にショートカットできることになる。
これは嬉しい。
ということで、カルロスさんの家に一泊させてもらうことになった。
↑即興で作ってもらったベッド。どでかいエアーマットにシーツや毛布をつけてもらった。めっちゃ快適
カルロスさんの誘いで、奥さんと一緒にドライブ。
ドゥイタマの町を見てまわることになった。
まずはメルカド(市場)へ。
多くの果物を見せてくれて、指を指してはスペイン語の名前を言ってくれたあとに「これは日本にはあるかい?」と質問してくる。
その光景はそのうち動画にすると思います。
↑グラナディージャという名前らしい果物。一つ買ってもらっちゃった
↑中はこんなん。ちょっと気持ち悪いけどおいしかった。種がジャリジャリしてて白い部分含め全部食べられる
そしてカテドラルへ。
車を停めるところがないため、
自分だけ降り、車でゆっくり広場をまわっている間に見学するというタイムアタックを開始。
唐突に始まるこの急展開。
急げ! 急ぐんだ!!
↑カテドラルの外観
↑内部
↑かなり素晴らしい造りをしていた。10段階評価でいうと8。もっとゆっくり見たかった
そして町外れまで連れて行ってもらい、高台からドゥイタマの全貌を眺める。
それからカルロスさんの友人の家へ。
ここでもやっぱり軽食が出された。
皆でそれを食べ、ホットココアをすすりながらおしゃべりする。
こういうのがこっちの文化なんだなぁ、
とその光景をしみじみ眺めていた。
↑左から奥さんとカルロスさんとその友人
↑真ん中の友人にトゥンハまで送ってもらうことになった